+ act.06  過去と今を取り巻く世界 ( 3/3 ) +
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まだ午前中の早い時間ではあったが、このスラム街の朝も早いようだ。
既に通りにはいくつもの露店が準備を終え、客の呼び込みを行っている。
朱羅は、そんな賑やかな通りを抜け、人気の少ない路地に入る。
路地裏にも店はあるが、こちらは表の店よりも専門的な店が多いく、街の奥に進めば進む程『危険な店』が多いのだと斎は話していた。朱羅自身もこういった街を転々としていた為、そういった知識は持ち合わせている。

「時間通りだね、朱羅」

突然、前方から透き通った美しい声で名を呼ばれる。
「少しトラブルはあったようだけれど、無事に入手出来たみたいだね」
「― はい」
顔立ちの良いスラリとした長身の人物が、壁に寄りかかり、朱羅を見つめていた。
その人物は、体のラインにフィットした黒の皮製スーツのような物を身に纏っており、男性とも女性ともとれる中性的な容姿が、他の人間にはない異質とも言える雰囲気と存在感を作り出していた。
銀髪に近い白く長い髪もまた、光の差し込まない暗い路地裏でも存在感を際立たせており、凛とした色を乗せる空色の瞳も、常に美しく煌いていた。
しかし朱羅は、時折それが背筋を凍らせるような凍てついた視線を向けることを知っている。
「これが例の物です」
「ちょっと待っていてくれるかな。すぐに確認するから」
腰の小さなポーチからディスクを取り出すと、朱羅はそれを手渡す。
それを受け取ると、白髪の人物は腕に付けられている特殊な装置の中にディスクを入れる。
すると、そのディスクの中にあった情報だろう。それらが3D映像のように空中に映し出される。
「確かに受け取った。よくやったね、朱羅」
いくつもの情報の羅列を素早い視線の動きで確認をしたその人物は映像を消し、視線を朱羅へと向ける。
「それでは失礼します」
「ちょっと待った」
「― っ」
用件が済んだと判断した朱羅は、目の前の人物から視線を外し、
その場を後にしようと背を向ける。

― が、突然

振り返り際に残った手を掴まれ、引き寄せられたと思うと、壁へと身体を押し付けられる。
「君は、いつ戻ってくるんだい?」
朱羅を壁際に追い込み、正面から囲うように逃げ場を奪うと、朱羅の片手を握って口元に添え、顔の横にもう片方の手を押し当てながら話を続ける。
「兄さんは君がお気に入りでね。それは君も自覚しているだろう?
それに、私自身も君を気に入っている。手放すつもりはないよ?」
「その話は既に済んでいる筈です」
目の前の人物は顔を近付け、口元に添えた朱羅の細い指に口付ける。
しかし、この状況に置かれても尚、朱羅の表情が変化することはなく
視線を絡めてくる目の前の人物に、朱羅もまた、真っ直ぐな視線を向ける。
「済んではいないよ。君が勝手に自分の意見を述べて出て行っただけじゃないか」
「今まで俺に自由に行動させていたのは、俺の意見を承諾してくれたからではないのですか?」
「朱羅……」
嘆息交じりの甘い吐息と共に発せられる短い単語。
その単語を発しながら僅かに動く絹のような髪が、周囲にある髪を巻き込みながら細い肩から音もなく落ちると同時に―

朱羅は口付けられる

「ん、っ……」
細い顎を片手で押さえ込まれ、口付けから逃れることを赦さず、そのまま舌で唇を抉じ開けられると、朱羅の口内に舌が入り込んでくる。何度も舌を絡み取られ、歯列をなぞられるその感覚は、朱羅に嫌悪感を抱かせると共に、『過去の記憶』を彷彿とさせた。

「はっ……はっ…、はぁっ………」
「………」
そうして、呼吸することさえ赦されず、意識が朦朧としかけた頃、漸く朱羅は口付けから解放された。解放された反動でそのまま前屈みになると、朱羅は呼吸を整えるの行為に意識を奪われる。朱羅に口付けたその人物は恍惚の表情で目の前にいる朱羅を見下ろしながら、自分の唇に残った朱羅の唾液を舌で舐め取り、味わう。
「まったく…君の身体にあれ程教え込んだと言うのに……」
「―っ……」
胸元に手を当て、荒れたままの呼吸を整えようとしている朱羅の顎に手を添え、強引に顔を上げさせると、朱羅の耳元に唇を添える。
「もう、忘れてしまったのかな?朱羅…」
「ぁ、っ……」
吐息が入り込み、舌が耳を舐め上げると、朱羅の身体が反応を示す。
「…良かった。ここが性感帯なのは変わってはいないね」
「―っ……瑠架、さんっ……」
「そんな甘美な声で私の名を呼ぶだなんて……誘っているの?朱羅」
「―ちがっ……」
"瑠架"と呼ばれたその人物は、色香を乗せた動きで朱羅の頬を撫でる。そして、そのまま朱羅の両手を掴み、壁に押し当て、更に自由を奪うと、朱羅の首筋にキスを落とし始める。
「…おや、これは何だい?」
ふと、瑠架は朱羅の首元にあった見慣れぬチョーカーに気が付く。
「―っ!」
「おっと」
一瞬、朱羅の首に付けられたチョーカーに意識を奪われていた瑠架の隙を突き、朱羅は瑠架の手を払い、囲われていた壁から離れ、距離を取る。
「…俺は、戻るつもりはありません」
「ふむ…そうかそうか……。ああ、でも」
瑠架は口元に指を当て、小さく2度頷くと顔を上げる。
「君が"連中"から逃れらているのは我々のお陰だという事は忘れないように」
「……bloodyhound」
「そう。君は別の場所に身を置いているようだけれど、あれだけ君を追い回していた連中が急に大人しくなって可笑しいとは思わないのかい?」
「………」
瑠架の言う通り、朱羅も可笑しいと感じていた。あれだけの人数が自分を探し回っていたというのに、突然、彼等の姿が消えた。
「彼等と違って表立って権力を誇示してはいないが、
 我々は連中とは比較出来ないような大きな『力』を持っているからね。
 それに、我々に逆らえばどうなるのか…彼等もよく知っている」
「…俺にも同じ事が言える…と?」
「流石、察しがいいね。賢い子は好きだよ、朱羅」
満足気ににこりと微笑む瑠架。
「今は兄さんも大目に見ているけれど…兄さんは、欲しいものは傍に置いておかないと気が済まない人だからね。気を付けることだ」
「………」
「安心して。君に危害は加える気はないよ。"君には"、ね。でも驚いたよ。君にしては珍しいじゃないか、他人に気を許すなんて」
「俺は別に……」
「兄さんも、嫉妬に狂わないといいけれどね」
「っ………」
口元に指を沿え、舌なめずりをし、横目で朱羅を一瞥しながら愉しげに笑う瑠架。
「ああ、因みに、私は君を気に入ってはいるし、戻って来てくれるのなら非常に嬉しい。けれど、兄さんとは違って私は君に依存していないから安心して」
「………」
「それにしても…」

― 刹那
強く、肌を切ってしまうような風が、朱羅の頬を切るように吹く

「相変わらず君は人を魅了し、惑わし、狂わせるね」
「っ……」

― 冷えた風と共に向けられた凍てついた瞳

瑠架に向けられたその視線に、朱羅の背筋に悪寒が走る。ゾクリとしたその悪寒は、朱羅の身体の自由さえも奪う程だった。

「でも、そういうところも私は気に入っているよ、朱羅。私は君を可愛い弟だと思っているよ」
ふっと、それまで2人を囲んでいた重苦しい圧力が消え去ったかと思うと、再び瑠架に穏やかな笑みが戻る。
「それじゃあ失礼するよ。またね、朱羅」
そう言うと、瑠架は長い髪を風に靡かせ、去って行った。
「……………」
自分をその場に拘束するような瑠架の残り香が、朱羅の鼻を刺激する。 過去の記憶の片隅に残るその香りは、今の朱羅にとって『思い出』でも『記憶』でもなく、ただの『記録』にすぎない。 そして、その記録に追随する感情はない。 ただ、あるとすれば一種の『嫌悪』、『軽蔑』
それは、自分を取り巻いていた環境や人物に向けたものであり、自分に向けたものでもある。
そんな思考をぼんやりと巡らせながら、朱羅は瑠架の後姿を見つめていた。



*



アジトに戻ると、洗濯物を干す瑪瑙がいた。
「おかえり朱羅君。お仕事お疲れ様」
背後に気配を感じた瑪瑙は、洗濯物を干す手を止め、振り返る。
そして、気配の主が分かると、いつもの笑顔で出迎えた。
「…仕事と言えるような事はしていない」
ふっと、朱羅は瑪瑙から向けられる視線を遮る様に足を動かし、瑪瑙の近くへと歩み寄る。
「―薬。何処に置いておけばいいんだ」
「あ、私が預かっておくね。お釣は斎君に渡しておいてくれると助かるな」
「分かった」
「―待って」
瑪瑙は、事務的なやり取りを終え、早々と中に入ろうとする朱羅の手を掴み、引き止める。
「朱羅君…具合、悪い?」
ぎゅぅっと、小さく暖かな手で朱羅の手を握り締め、心から朱羅の身を案ずる表情で尋ねる瑪瑙。
「大丈夫だ。問題ない」
「…嘘。朱羅君、嘘吐いてる」
「嘘を吐いてどうなる」
「私達、頼りないかもしれない。でも、無理したって朱羅君が辛いだけだよ?」
「…だから―」
繰り返し自分の身を案ずる瑪瑙の言動に、朱羅は目を瞑り、無意識に僅かに眉を顰めたが
再び目を開けると言葉を失った。

「本当に無理、してないんだね?」
「………」

自分の中の虚勢を壊してしまうようなまっすぐな瞳。
有無を言わせない強い瞳。
普段の彼女から受ける印象とは真逆の、誰よりも強い意思を受けるその眼差しが、強引に壊すでもなく傷つけるでもなく、静かに、そして優しく朱羅を溶かしていく。

「―朱羅君?」
「……少し、怠い」
「熱………はないみたいだけど…。少し横になる?暖かい飲み物も用意するよ?」
「そこまで酷くはない。本当に少し怠いだけだ」
「………」
「酷くなったら休む」
「…分かった。無理はしないでね?約束だよ?」
「……ああ、分かった」

それまでは、自分が虚勢を張っているのも自覚はあったし、人と交わることも意識的にも無意識的にも避けてきた。

しかし、独りで生きていくことは不可能なのだと朱羅は思い知った。
生きていくのに他者との交わりを絶つことは容易ではない。
況して、本来であればまだ大人の加護がなくてはならない年頃で、独り、家を出た朱羅にとっては尚更だった。

そして、生きていくには必要なものがいくつもある。
それらを得るには『対価』が必要なのだ。
その対価として他者が自分に求めるものは
― 情報
― 身体
― 心
ときには、その全てを求める者もいた。

新しいこの場所でも、自分が生活するための『対価』はある。
それが『仕事』。
それは今までも経験があった。

…それなのに何故だろう

嫌悪や軽蔑
そんな負の感情が沸いてこないのだ。

今まで出会ってきた者達同様
見返りを求められているのに
対価を支払っているのに

この疑問に関する答えは
いつか得られるのだろうか


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