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― 何処にも行く場所がないのなら此処にいなさい ―

その人は、温かな笑顔でそう言った






 ACT.09  断ち切る決意






「いってぇぇぇ…!」
ホームの広間の片隅で、朱羅から治療を受けている斎は、顔を歪めながら痛みに耐える。
「…こんなにボロボロになっているのに、骨を1本もやられていないなんて驚きだな」
朱羅は"驚き"という言葉を発するが、全く驚いているようには見えなかった。
「こんなトコに住んでりゃあ、嫌でもタフになりますからねぇ。………んでもさ………」
斎の表情に、はフッと影が落ちる。
「……アンスズとパースはまだ小さいから……そこまで頑丈じゃないんだ………」
斎は、治療を受けていない方の手を、強く握り締める。
「…医師免許を持っていないようだったが、昔から世話になっている医者なんだろう?」
「……アントン先生には此処に来た頃から面倒みてもらってる…」
BHの男達に捕まり、拷問のような酷い仕打ちを受けたアンスズとパースは、街外れにある診療所に運ばれ、医師(…と言っても、朱羅の言う通り医師免許は持ってはいない)から退院許可が出るまで、診療所に入院し、治療を受ける事になった。
「………俺がもっとしっかりしていればっ………」
悔しさと己の非力さを痛感した斎は、ギリッと歯を食いしばる。
「……何でも1人で抱え込むものではないと思うがな」
「……………よりにもよってお前が言う?そういうこと」
ハハッと、斎は眉を顰めながらも笑みを見せる。
「……いつまでも引き摺っていたって何にもならないってことはわかってんだけどさ…」
「………」
「……俺は此処のリーダーで、責任者だから。俺がしっかりしてなきゃ生きていけないんだよ」
そう語る斎の姿は、朱羅から見ると、ただの責任感の強い一人の人間と言うよりも、まるで、自分にそう言い聞かせ、それ自体が己の存在意義であるかのような、一種の脅迫観念のようなものさえ感じるものだった。
「……ってそうだ」
斎はそれまで俯かせていた顔を上げ、朱羅を見る。
「瑠唯って人に会ったよ」
朱羅の手が、一瞬で止まる。
「俺等がBHの奴等にボコられてたところを助けてくれたんだ。朱羅に宜しく伝えてって言われたよ」
「………」
朱羅は無言のまま治療を済ませ、包帯の残りを隣のテーブルに置く。
「……他には何か話していたか?」
「いんや、それだけ。朱羅の知り合いなんだろ?此処に来る前までに世話になってた人か?」
「………斎には関係のない話だ」
朱羅はまるで逃げるかのように、その場を後にする。
「……なんだぁ?」

ホームの外に出ると、周囲には灯りひとつ灯っていなかった。
スラム街だから仕方のない事だが、少量の灯りさえもない外は、実際の気温より更に低温に感じる。
ヒヤリとする風が僅かに頬を撫でる中、ホームを出た朱羅は近くの箱に腰を下ろす。
すると何処からともなく野良猫が数匹やってきて、朱羅の膝の上にのったり足元に擦り寄ってきた。
そんな猫達を撫でながら、朱羅は俯きながら身体を小さくする。







朱羅自身、この企業がどれ程の資金を持ち、世界に名を広めているのか、約2年間いたにも関わらず、まだ理解仕切れていなかった。
1分たりとも無駄に出来ない多忙な日々を過ごすその人は、この製薬会社の社長だった。
会社自体が出来たのは30年程前で、始めは小さな薬局だったそうだが、先代の社長がかなりのやり手だったらしく、一気に業績を上げ、今では世界をも相手に出来るまでの巨大な企業へと変貌していた。

―だが、製薬会社と言っても、それは表の顔。
裏では身寄りのない子供達や若者を安価で買い取り、人体実験を行っていた。
買われた人間には名前などなく、新たにつけられた識別番号で呼ばれ、犬やマウスと同等の扱いしか受けない。
それでも毎日食事が出て屋根のある場所で生活出来るだけでも有り難いと、此処に自ら脚を運ぶ浮浪者等は少なくなかった。

そんな企業を創り上げた先代が"モルモット"だった1人の少年をえらく気に入り、養子にしたのが10年程前。
元々"素質"のあった彼が社長の椅子に座るまで、そう長くはかからなかった。
未だ十分働けたはずの先代は、まるでその少年にプレゼントをするかのように、社長の椅子を彼に譲った。
先代もやり手だったが、現社長はその更に上を行くと、周囲は常日頃から話していた。
恵まれた容姿もあってか、彼のカリスマ性が遺憾なく発揮され、会社は更に成長し、それと共に彼は更に多忙を極めた。

そんな彼に駄目元で話がしたいと伝えたのは1週間前。
半年先……否、1年以上先も予定が詰まっているその人はその場でスケジュール調整を行い、わざわざ自分の為に時間を割いたのだった。



汚れどころか曇りひとつない透明度の高い石の廊下の1番奥にある、紅に彩られたドアをノックすると、中からその人の声がする。
朱羅は一瞬眉を顰めたが、1度目を閉じ、一呼吸置いてからゆっくりとドアを開けた。
「待っていたよ、朱羅」
そう、穏やかな笑みを見せながらこちらを見ていたのは、絹糸のように細く長い、白銀の髪を持つ長身の青年だった。
「さぁ朱羅。こちらに来なさい」
ワインレッドのシャツと黒のパンツを身に付け、その上から白衣を纏っている彼はにこりと微笑み、朱羅をソファーに腰掛けるよう促す。
朱羅が腰を掛けると、奥のキッチンから1人の女性がティーカップと、砂糖とミルクが入った小さめの陶器の器を載せたトレイを持ってやってくる。
…女性と言っても、身体のラインにフィットした黒のボディスーツを身に付た上からでもお世辞にもあるとは言えない胸と、彼女自身から漂う、今、朱羅の目の 前に腰を掛けている青年と似ているようで異なるような独特の雰囲気が、一見しただけでは性別がわからないものにしていた。
それと…双子ではないと聞いてはいるが、青年とその女性はまるで瓜二つのような容姿であった為、朱羅も最初はこの女性も男性だと思っていた。
「朱羅はストレートティが好きだったね」
女性はそっと囁くようにそう言うと、朱羅の前にカップを置き、少し移動し、青年の前にもう一つのカップを置くと、そのまま青年の隣に腰を下ろす。
「―瑠唯さん。俺は今日限りで此処を出て行きます」
朱羅は女性が腰を下ろしたのを確認すると、素早く本題に入る。
「おや。随分と急な話だね、朱羅?」
瑠唯と呼ばれた青年は脚を組み、穏やかな表情で朱羅を見つめる。
「以前から、貴方の考えやこの研究施設の方針には納得のいかない部分がありました」
「朱羅は前々から兄さんに意義を唱えていたものな」
「…瑠唯さんや瑠架さんにはとてもお世話になりました…」
俯き加減で話していた朱羅が、顔を上げる。
「…でも、俺はもう、貴方方の元では働けません」
「私の方針には従えないから此処を出たいと、そう言いたいんだね?」
「……はい」
朱羅は僅かに逡巡し、答える。
「人類の繁栄の為に尽くしている我々のどこに不満だと言うのかな?人体実験における人間の尊厳の欠如かな?」
「………」
「でも君の祖先は…君の中に流れるその血は半分だけだけれど、彼らはその"人間の尊厳"を踏み躙っていたじゃないか」
「…だからこそ俺は、これ以上貴方に異議は唱えず、此処出て行くんです」
朱羅の口調が若干強くなる。
「理由はそれだけかい?自分自身がモルモットにされるのも嫌になった…という理由はないのかい?」
瑠架は淡々とした口調で朱羅を試すかのように問う。
「……此処での俺の存在意義は、それしかありませんでした」
「それは、自分が生きるために必要なことだったから、自分自身がモルモットになることに対して、不満や異議はなかったということかな」
瑠架は、瞬きのひとつもせず、変化のない表情で朱羅を見つめる。
「朱羅は自分自身の痛みにはとても強い子だからね。―それに……君は楽だったのだろう?自分の身体や命をも削ることで自分が犯した罪を償えるということが」
腕を軽く組み、片手を自分の顎に添えた瑠唯は、朱羅の心を探るような深い色の瞳で朱羅を見据える。
「そんなことで俺の罪が消えるとは思っていません。…それに、俺が瑠唯さんの役に立ったなんて考えていません」
「…朱羅。君は自分に厳し過ぎる。それに、自分を過小評価し過ぎだと、以前から話しているだろう?君はキリス種族と人間の混血種というだけでも十分価値があるというのに。だから君は、私の予想以上に貢献してくれているんだよ、朱羅」
「それは、研究材料…"モルモットとして"という意味ですか?それとも"玩具"としてという意味ですか?」
「玩具だなんて侵害だな、朱羅。私や兄さんは心から君を愛していると言うのに」
「まぁ…最初は単に面白そうだったから、という感情しかなかったけれど、今は君に好意を抱いているんだよ朱羅。どうしてわかってくれないのかな?」
瑠唯は朱羅の言葉に困ったように眉を僅かに歪めるが、笑みは変わらず残っていた。
「………貴方の考えていることは、俺には理解出来ません」
そう言うと、朱羅はその場に立ち上がる。
「待ちなさい、朱羅。………わかった。一先ず今は君の望みを叶えよう。ただし、最後にひとつ君に任せたい仕事がある」
「………」
「安心しなさい。可笑しな仕事ではない。BHに関する情報を盗んできて欲しいだけだ。君になら容易いだろう?」
「…本当に、それだけですか?」
「ああ。それだけだ」
「………わかりました。詳細は端末にお願いします」
そう言うと、朱羅は踵を返すかのように直ぐに後ろを向き、脚をドアの方へと向かわせる。
「お世話になりました」
朱羅は律儀にドアの前で今まで世話になった2人に一礼すると、朱羅はドアノブに手を伸ばす。
「ああ、そうだ…」
瑠唯はそんな朱羅を見ると何かを思い出したようで、朱羅を追う。
「待ちなさい、朱羅」
「―っ」
朱羅の片手を取ると、瑠唯はそのまま後方―自分の方に引き、素早くもう片方の手を朱羅の腰に回し…
「…ん、っ……」
瑠唯は朱羅の顎を掴み、上に向けるとそのまま口付けた。
朱羅の表情が曇りがかり、華奢な身体を使って逃れようと抵抗するが、瑠唯は構わず口付けを深めていく。
舌を割り入れ、朱羅の舌を何度も絡め取る。
呼吸さえも許さないような、朱羅を堪能するような深い深い口付けを続けながら、朱羅の背中に回った瑠唯の手が服の中に入り込み、朱羅の背中を撫で回す。背中から脇腹に移るその手はまるで蛇のようで、絡み付いて離さない。
「………朱羅……」
「はぁっ………はっ…はっ、……」
漸く唇を解放する瑠唯だったが、背中や脇腹を撫で回すことは止めない。
そのまま手は下に伝い、朱羅の腰骨に触れると、反射的に朱羅の身体が震える。
瑠唯はそんな朱羅を見ると優しく微笑み、朱羅の唇に、何度かバードキスをする。
「…"辛くなったら"私のところに戻ってきなさい。私はこれからも君の1番の理解者であり、君を誰よりも愛する者なのだから…」
睫毛が当たるような至近距離。
瑠唯の瞳に、必死に瑠唯から与えられる有無を言わせない威圧感に、必死に抵抗する自分の姿が映っている。
そんな自分が惨めに見え、朱羅は目を逸らしてしまう。
「………」
「君も外に出ればわかるだろう。私がどれだけ君を想い、君の助けになっているのかということを…」
そう言うと、瑠唯は額に軽く口付けると朱羅を解放する。
「………失礼します…」
朱羅は、腕で乱暴に口を拭うとそんな瑠唯を真っ直ぐ見据え、一礼をして部屋を後にする。
「兄さんばかりズルイのでは?」
「ふふ。瑠架もすればよかっただろうに。瑠架になら許しているのだから」
瑠唯は口元に手を添えながら楽しげに笑う。
「兄さんのディープキスに驚いて一瞬意識が飛んでしまいましたよ。ですので―」
瑠架はそう言うと瑠唯の元に行き、瑠唯に口付ける。
「―これで我慢することにします」
瑠架は唇を離し、至近距離で囁くようにそう呟くと、自分の唇を舐め取り、距離を置く。
「朱羅が戻ってきたら好きなだけ朱羅を可愛がるといいよ、瑠架」
「言われずともそのつもりですが…兄さんの中は"朱羅が戻ってこない"という選択肢は存在しないのですね」
「もしそうだとしたら………それは、とても悲しいことだね」
フッと、笑ったままの瑠唯の瞳に睫毛の影が入り込む。
「…兄さんは、朱羅のあの理由が本意だとは思っていないのでしょう?」
「それは朱羅が戻ってきてから尋ねることにするよ」
瑠唯はふふっと微笑みながら楽しげに答える。
瑠架はそんな瑠唯を黙って見つめていた。







気が付くと、口内に鉄の味が広がっていた。
無意識に唇を噛み締めているうちに、どうやら切ってしまったようだった。
指で触れ、血が出ていることを確認していた朱羅の視界の端に、黒の草臥れた靴が映る。
「……朱羅……だったよな、名前……」
「ああ」
顔を上げると、自分の隣に要が立っていた。
「…助かった」
「…え?」
「……お前がいなかったら今頃瑪瑙が奴等に攫われてたかもしれなかったからな…」
要は悔しそうな顔をしながら言う。
「…正直、認めたくねぇんだけどよ……そっちの方がカッコ悪いからな。…その…なんだ………サンキューな…」
「………」
「〜〜〜っ………んだよ!せっかく俺が恥を忍んで礼を言ってんのにシカトかよテメェ!」
照れくさかったのか、要は頬を朱色に染め、朱羅を怒鳴るような口調で抗議する。
「―あ、いや、そうじゃなくて……」
「…あ?」
「俺は………護れたのか…」
「ああ?護ったじゃねーか。俺達やこの家を」
「………そうか」
視線を落としている朱羅の表情が僅かに綻ぶ。
「……つかお前…」
「ん?」
朱羅は要の言葉に釣られ、顔を上げる。
「…野良猫に懐かれ過ぎじゃねーの?」
呆れながらそう言う要。朱羅の周りにはいつの間には十数匹の野良猫が群がっていた。
「…気付いたらいつもきてくれる」
朱羅は膝に乗っている猫の喉と、肩に乗っている猫の頭を優しく撫でる。
「…ホント、変な奴だなお前……」
そう言う要は、呆れながらも笑っていた。


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