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ゼェゼェと 荒れた呼吸音がすぐ近くで響く
暫くの間 それが自分の口から発せられている音だとはわからなかった

そして 荒れた呼吸の次に気が付いたものは
寂びた鉄のような 鼻につく匂いだった






 ACT.34  覚醒と変化






視線の先―足元に、赤黒い絵の具のような液体が広がってきて、それが自分の素足にぬりりと纏わり付いてくる。
嗅ぎ慣れたようなその液体から発せられる臭いに、一瞬、何処か安堵感のようなものを覚えた自分がいたことに、少年は気が付いた。
力の篭った手に握られているのは、赤い絵の具がこびりついたナイフ。
ゆっくりと視線を上げ、辺りを見渡すと、真っ白の壁と天井に囲まれた空間であったその場所が真っ赤に染まり、切り刻まれた肉塊が周囲に散乱していた。
その光景を見て、少年はすぐにこの光景を作り出したのは自分自身であると理解した。

―パンパン

今まで自分の呼吸のみが響いていたその空間に突然、手を叩く音が2度、響いた。
「素晴らしいね、朱羅。やはり君は特別だ」
柔和な笑顔を見せながら真っ赤な絵の具―周囲に広がる肉塊から流れ出る血を気にも留めず、ゆっくりと朱羅と呼んだ少年に歩み寄る銀髪の青年。
「キリス種族や君自身に関するデータから予測を立ててはいたけれど、それ以上だ」
呼吸が整ってきた朱羅は無言のまま、自分の前に立つ青年―瑠唯に視線を向ける。
「………」
「―流石に、この光景を見て驚いたかな?それとも優しい君のことだ、自責の念に駆られているのかな?」
瑠唯は紅色に色味を変えた朱羅の美しい双眼を見つめながら、朱羅の手に握られたナイフをゆっくりと手に取った。
「………安堵感を、覚えたんです………」
今まで一切言葉を口にしなかった朱羅は、ここで始めて言葉を発した。
「安堵感…?」
朱羅の口から発せられた予想外の言葉を、瑠唯はそのまま復唱する。
「…罪悪感も興奮も、痛みも苦しみも何も感じない………ただひとつだけ感じたもの……それが、安堵感だったんです」
「ほぅ…」
瑠唯は興味ありげに顎にそっと指を添え、目を細める。
「この臭いが凄く懐かしくて……自分でも驚くくらいにしっくり感じるんです…。本当に、違和感のない程に…」
「こんな場所にいつまでもいたら臭いが染み付いてしまうかもしれない。朱羅、場所を移そう」
「……はい」
瑠唯は朱羅の背中にそっと手を添えながら彼を誘うと、部屋の奥に設置されているモニタールームに入る。
「データはきちんと取れたね?」
「はい。問題ありません」
モニタールームには白衣を着た研究員達が数人、今行われた実験の結果をひとつのデータにまとめている最中だった。
「それでは今回の実験は終了する。後は任せたよ」
瑠唯はそう言うと自分の上着を、返り血で赤く染まった朱羅に優しくかけると、彼の肩を抱いて研究室を後にした。

*

「少しは落ち着いたかな?」
瑠唯は自室に朱羅を連れて来るとシャワーを浴びさせ、シャワーを終えた朱羅に暖かいホットミルクを用意した。
「最初から、不思議なくらいに落ち着いていたのですが…」
朱羅はテーブルを挟んだ瑠唯の向かいに腰を下ろし、彼が用意してくれたホットミルクの入ったカップを手に取る。
「さっき、朱羅は"安堵感を感じた"と言っていたね。それは朱羅の中に流れるキリス種族の血が、かつて大陸を支配した戦闘種族としての本能を、そして、かつて彼等が身を置いていた血の臭いが漂うその地に身を置いたような感覚を覚えさせ、その地に仲間達と共に生きていたという安堵感を感じているのかもしれない」
瑠唯はソファーに腰を下ろし、向かいに座る朱羅を見ながら静かに言う。
「…恐らく、肉を切った瞬間や血を浴びた瞬間は一時的にでも興奮状態にはいたと思います。あれだけ呼吸が荒れていたので…」
カップに注がれたホットミルクを口にすることなく、朱羅は静かにそれを見つめながら、まるで第三者を観察した結果を述べるかのように答えた。
「確かに、あの時の朱羅にはあそこまで呼吸を乱すような無駄な動きは一切なかったね。やはり、人間の血が流れていたとしても、キリスの血の方が働く本能が強いようだ」
「………あの方達は………」
朱羅は、やっと自分の口から自然に出た"罪悪感"に安堵していた。
「彼らは実験に耐えられなかった者達だから罪悪感を感じる必要はないよ、朱羅。自我なんてとっくに失っていたのだから」
「でも、だからと言ってあんな無残な殺され方をしても良いということにはなりません」
朱羅は瑠唯を真っ直ぐ見つめ、訴える。
「それでも君は、自分が彼等に何も出来ないことを理解しているのだろう?」
「……俺の存在意義は、彼等の犠牲なくしては確立出来ないものなのだと、理解はしています」
「君は本当に賢い子だ。大抵の人間は自分の立場も言動もきちんと理解せず、受け入れず、目に留まった自分の意思とは異なるものに対して反発するだけだからね。此処にいる多くのモルモット達も同じだ」
瑠唯は背もたれに体重を預け、脚を組み、両手を膝に添えて続ける。
「始めのうちは衣食住のあるこの環境に感謝の念さえ抱いているというのに、その生活を支えている"真実"に触れた途端、嘆くか喚くか…そんな愚かな反応を見せる。中には意義を唱える愚か者までいるからね。それでいて、"ならば此処を出るか"と問えば口を紡ぎ、自分が意義を唱えたことを大人しく受け入れる。本当、無駄な労力だよ」
「でもヒトは、過ちを犯すものです」
「そうだね。私も君も、数え切れるほどの過ちを犯している。でも、私達は愚者ではない。実際、君は今だって自分の立場を正しく理解し、受け入れた。それはそう簡単に出来ることではないよ」
にこりと朱羅に笑みを向ける瑠唯はどこか満足気だった。
「朱羅は本当に優秀な子だ。流石はこの私が認めた存在だよ」
「………」
朱羅は瑠唯から視線を外し、口を開く。
「さっきの実験…瑠唯さんは見ていてどう感じましたか?」
「…そうだね、今まで御伽噺か何かと言われても不思議ではなかった話だったけれど、多くの大陸を領土として得た種族だという確信を得ることが出来たね」
そう語る瑠唯は、自分のお気に入りである朱羅を見つめていた時とは異なる色をその瞳に宿していた。
「…今までも、気が付くと目の前で人が死んでいて、自分が返り血を浴びていることが何度かあったんです…」
朱羅は手に持っていたカップをテーブルに静かに置いた。
「"キリス血の覚醒"だね。キリスの血は主を生かそうとする働きが普通の人間よりも強いから、朱羅の身の危険を察知し、朱羅を護ろうと強制的に目覚めさせたのだろう」
「強制的な目覚め…」
朱羅は小さく呟く。
「朱羅の場合は下手に人間の血が混ざっているから、人間の血とキリス種族の血が反発し合ってしまうようなんだ」
「それはつまり…俺は、純潔のキリス種族よりもある意味では性質が悪いということですか?」
朱羅は淡々と尋ねる。
「厄介であることには変わりはないようだね。人間の血が下手にキリスの血を抑制しようとする傾向にあって、キリスの血はそれを良しとはしていない。よって反発し合い、必要以上に性欲や血への執着が強まってしまうのだろう」
「…それでは俺は、血に飢えた獣をこの先も一生、抱えて生きていかなければならないということですよね」
その言葉を聞くと、朱羅が自分の将来を悲観しているかのようにも聞こえるが、実際はそう語る朱羅の瞳は今までと何も変わってはいなかった。
「朱羅が生きている限り、その血と共存していかなければならないということは必至だろうね。でも、自分でコントロールが出来るようになれば話は別だ」
笑みを見せながらそう答えた瑠唯は組んでいた脚を解いてテーブルの上で手を組み、朱羅との距離を縮める。
「君になら、君の中に眠るもう一人の自分を、きっと飼い慣らせる」
「自分を制御する…ということですか?」
「ああ。そうすれば君は君のままでいられるし、うまくいけば逆にキリス種族の血を自分の能力として獲得出来るかもしれない」
この時の朱羅には、そう語る瑠唯の瞳に宿った色が、自分を大切に想ってくれている色には見えず、彼は純粋に"研究者"として自分に興味を抱いているのだと思っていた。
「私も喜んで協力するよ、朱羅。一緒に頑張ろう」
瑠唯はそう言うと、朱羅の手を取り、自分の手でそっと包み込んだ。
「…宜しくお願いします」
朱羅は深々と一礼した。



*



「…本当に怪我は大丈夫?」
斎は心配そうな表情でベッドの上に腰をおろしている瑪瑙の前で脚を止め、膝を折り、彼女の瞳を真っ直ぐ見つめながら尋ねる。

朱羅と瑪瑙はホームに戻っていた。
瑪瑙が脚や手に少々怪我をしていた為、仲間達はすぐに駆け寄ってきたが、斎がその場を仕切り、一先ず瑪瑙と朱羅を瑪瑙の部屋に連れて行き、事情を聞くことにした。
「掠り傷だから平気だよ。心配かけてごめんなさい」
瑪瑙はそんな斎に始めはにこりと微笑んで答えたが、斎が本当に心配していることを知っていた為、すぐに謝罪の色を表情に載せる。
「瑪瑙が謝る必要はないんだ。全てはあの人が元凶なんだから」
斎の瞳に静かに怒りの色が乗る。
「…巻き込んでしまって済まない」
それまで口を噤んでいた朱羅が謝罪の言葉を述べると、斎と瑪瑙は自分達の後ろ―ドア近くに立っている彼に視線を向ける。
「俺が、いつまでも彼のことを中途半端な状態にしていたから…瑪瑙や斎、ホームの皆を巻き込んでしまった。…本当に済まない」
朱羅は2人に深々と頭を下げる。
「朱羅のせいじゃない……って言っても、お前は自分を責めるんだろうな」
斎は朱羅の方に体を向け、そう答えた。
「自分にとって特別な存在であった瑠唯さんを、俺はいつまでも引き摺ってしまっていた結果だ。俺にも責はある」
「…でも、それで1番辛い思いをしたのは朱羅君自身でしょう…?」
瑪瑙はあくまで朱羅を案じ続けた。
「私だって…いつまでも"彼"のことを忘れられない……。でも、朱羅君はそれでもいいって言ってくれた…。だから、朱羅君も無理をしなくていいの」
瑪瑙はゆっくりとベッドを降り、朱羅の元へゆっくりと歩み寄る。
「…でも俺は、瑪瑙に危害を加えたあの人に、初めて怒りを覚えたんだ」
そう語る朱羅の瞳には、今まで彼からは感じ取れなかったものが宿っているように見えた。
「余計なことは一切消え、ただ単純に瑪瑙を傷付けた彼が許せなかった。…今までは、そんな感情を抱いたことはなかったのに…」
「それだけお前が瑪瑙を大切に想ってるってことだろ?何真顔で惚気てんだよ」
朱羅と瑪瑙に歩み寄ってきた斎が、苦笑しながら言葉を掛けてきた。
そんな言葉を掛けてきた斎に、一瞬朱羅は目をぱちくりと丸くするが、すぐに彼の言葉に納得したような表情に変わった。
「…そういうことだな」
ふっと、僅かに朱羅の表情が綻んだように瑪瑙と斎には映った。
「……あ……」
「ん?」
瑪瑙が何かを思い出した様子を見せた為、斎は彼女に問い掛ける。
「…私、朱羅君に隠し事をしたくないって思ってるから伝えておくね」
彼女はそう言うと、朱羅の瞳を真っ直ぐ見つめて言葉を続けた。
「私、朱羅君がAsuraで行っていた実験映像を瑠唯さんに見せられたの」
「…実験映像…?」
その言葉に、朱羅は怪訝な表情を覗かせた。
「うん。…多分、朱羅君の中に眠るもう一人の朱羅君が、人々を手にかけた映像…」
「それ多分、俺が前に見たのと同じだ」
不意に斎も話題に入ってくる。
「斎君も見せられたの?」
「前に俺宛に送られてきたんだ。差出人はなかったけど、映像を見てすぐに送り主はあの人だってわかった」
「……そうか……」
朱羅は始めこそ僅かに驚いたようだったが、すぐに自分の置かれた現状を把握し、受け入れた。
「2人は、その映像を見てどう感じた?正直に話して欲しい」
少々俯き加減で2人から視線を外していた朱羅は顔を上げ、外していた視線を再び元に戻してから尋ねた。
「先ずは驚いたな。最初はB級映画か何かかと思ったけどさ、直ぐに映し出されてる少年が朱羅だってわかった」
「…私も、最初は驚いたけれど何故だろう………すぐに朱羅君が映ってるんだって感じたの。不思議と違和感もなかった。……あ、でも、それは朱羅君があんなことをするような人だと思ってたとか、そういう意味ではないの。何て言うんだろう………そう、朱羅君はずっとこんな辛いものを抱えて生きてきたんだって考えたら胸が苦しくなって………この映像も自然に自分の中に染み渡ってきて………」
瑪瑙は自分の胸元に手を添え、体を僅かに小さくしながら答えた。
「瑪瑙の言いたいこと、わかる気がする。多分、朱羅が予想している俺達の感想は、朱羅に対して恐怖心や不信感を抱くだとかそういった朱羅にとってマイナスになる感想なんだろうけど、俺も自分でちょっと驚いたけど、恐怖心や不信感なんかよりも強く感じたのは、朱羅を支えてやりたいってことだったんだ」
「……俺を、支える……?」
予想外の2人の感想を聞かされた朱羅は、何故彼等が自分の予想とは異なるものを感じていたのか、理解出来ていない様子だった。
「朱羅が此処に来た時から、こいつはきっと俺達とはレベルの違う辛い経験をしてきたんだって、何となく肌で感じてきたからな」
「うん。それに…ずっと朱羅君が独りで抱えていた悩みを知ることが出来て、私……とても不謹慎だけれど…少し、嬉しく感じたの」
「そんな感じだな。だから、お前は必要以上に俺達に罪悪感を感じる必要はない。それにお前、そんな自分をある程度制御出来てるんだろ?」
「……ある程度はな。でも完全ではない」
朱羅は自分の掌を見つめ、静かに問いに答えた。
「まぁ、そうだろうな。でも安心しろ。もし万が一お前が暴走したら俺達で止める。太刀打ち出来ないようなお前だったとしても何とかしてやる。だから変に自分を押さえ込もうとしなくていい。そっちの方が逆効果な感じがするしな」
斎は朱羅の頭をくしゃっと撫でながらそう言い切った。

「有難う。宜しく頼む」

「っ……」
出逢った当初の朱羅からは聞けなかった言葉を目の前で聞いた瑪瑙は、口元に両手を沿え、驚き、そして嬉しさで胸が高鳴った。

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