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今までにも、キリスの血に飲み込まれたことは数回あった。
その時の記憶は途切れ途切れでおぼろげではあったが、手に残った肉を切り裂く感覚は残っていたし、
自分の手によって絶命していった者達の悲鳴も耳に残っていた。

そして
自我が戻ったときに思うのだ



自分は『化け物』なのだと。






 ACT.37  苦渋の決断






以前に1度は目にしていたが、実際の"彼"を目の当たりにしたのは今回が初めてだ。
"血に飢えた獣"という言葉はよく耳にするが、その言葉がこれ程までに現実味を帯び、
ましてや今、自分の目の前に在ることなど信じられなかった。

自分や彼の周囲に転がる肉塊や血の池には意識は殆ど向かなかった。
斎が目を逸らせなかった原因は、彼の纏う異様なまでの空気にあった。
自分達と同じ世界に住む者には思えず、感じられず、まるで異世界からやって来たのではないかと思うほどの異質な空気。
畏怖は勿論恐怖心すら感じられず、ただただ自分の身体は固まり、茫然と彼を見つめ続けることしか出来ていなかったのだ。

これが、彼自身が警戒していた"もう1人の彼"の姿…―

「朱、………羅」

擦れた声で斎は彼の名を再度呼んだ。
本来であれば、ツカサを背負ってこの場を逃れれば良かったのだが、そんな余裕は全くない。
「………」
朱羅は一言も言葉を発さずに斎を見つめている。
その手には未だ男達の血が付着しており、ポタポタと滴り落ちる血が地面へと染み渡っていた。
沈黙が周囲を包み込んではいたが、斎の心音はドクンドクンと強く脈打ち、耳障りに感じるほどだった。
そうしていると、不意に1人の男が斎に向かって突進してきた。
「―っ!!」
今まで朱羅から目が離せなかった斎だったが、身体が本能的に男の気配から身を護ろうと動いた為、斎の身体は地面すれすれに沈み、その男の手に在ったナイフは虚しく空を切った。
ザザッと、男の足が歯止めとなって速度を打ち消し、彼は斎から数メートル後方で動きを止めた。
「………要………」
斎の眉は彼を認識したことで顰められた。
自分に対して突然発砲して怪我をさせ、つい数秒前に再び自分を殺そうとした彼―要の名を呼びながら。
膝を緩めに曲げ、低姿勢を取っていた要は上体を起こし、背筋を伸ばした状態で斎を黙って見つめていた。
「…やっぱりあの時、ちゃんと医者に診せてたら………」
自然と零れる後悔の言葉。
ホームに転がり込んできた赤い目の犬に噛まれた要を案じていた斎は、きちんと診療所に行って診てもらうよう促しはしたが、結局は要自身の判断に任せるという形になっていたことを悔やんだ。
あの時にきちんと、無理矢理にでも医者に診てもらっていれば、こんな最悪な事態はきっと避けることが出来た筈だ。
だが、それはもう今となっては全てが無であり、意味のない懺悔。
自分より遥かに戦闘能力の高い朱羅1人でも自分の運命は既に決まり切っているというのに、そこに更に自分の仲間である要もキリスと化して自分を殺そうと狙っているこの現状ではあったが、何故か斎の中に恐怖や焦り、絶望感はなかった。
小さい頃から『死』が身近にあった彼にとって、自分の『死』もまた、日常的なものと認識されていたからだった。
だが、今の彼にとって、自分の命は自分だけのものではないのだ。
「…俺は、まだ死ねない…」
斎の瞳に強い意志が宿る。
「…俺が死んだら、ホームの皆は一体どうなる…?」
未だ幼い少年達も少なくないホーム。
その中心である自分の存在の大きさは、彼自身しっかりとした自覚はある。
それは自負なんていうものではなく、彼を取り巻く真実。実際、彼がいなければホームの継続は無理極まりないことのだ。ましてや今では副リーダーである要や、新たなホームの中核を担う存在となった朱羅がキリスと化しており、この現状を打開出来るとすれば、それは自分しかいないのだと理解していた。
「………」
斎は冷静に現状を改めて把握し、打開策を練り始める…が、相手は待ってはくれなず―
「要っ…!」
要は再び自分を狙ってナイフを突きつけてきたが、要は両腕で彼が自分に向けるナイフの柄をしっかりと握り、彼を止める。
「いい、加減っ………目を覚ませ!」
制止させられていても退かないどころか益々力を押し込みながらナイフを自分に突き立てようとする要を、彼は片足で蹴り飛ばした。
腹部を蹴り飛ばされた要だったが呻き声すら上げずに吹き飛び、斎との間に再び距離が生れた。
斎は要を警戒しながら朱羅とツカサにも視線を移す。
朱羅はまだ黙ってこちらを見つめているだけで、ツカサは自分と距離のある所で倒れたままになっていた。
「っ………早くツカサを診療所に連れて行かないと………っ―!」
一瞬、ほんの一瞬要から視線を外していただけだと言うのに、再び彼に視線を戻そうとした斎の目の前には、彼が一瞬で距離を詰め、自分の頭上で素早くナイフを振り落としていた―

― ドッ…!

自分のミスを一瞬後悔した斎だったが、頭上で振り落された筈のナイフによる衝撃はまったくなく、代わりに鈍い音が耳に入っただけだった。
「………」
自分の死を一瞬覚悟した斎だったが、反射的に瞑っていた目を開け、ゆっくりと頭上に視線を移すと、そこには細めの腕が伸ばされ、要の攻撃を阻止していた光景があった。
「朱羅………」
その細い腕の持ち主は朱羅。
彼が、要の攻撃から自分を護ってくれた。

―そう思ったのも束の間―

「朱羅…!!」
斎は反射的に"それ"を阻止した。
「止めろ…!」
キリスとなっている時の記憶が、元に戻った時の彼に残っているのかどうかは分からない。
それでも、我を見失っている彼に仲間を殺させる訳にはいかない。優しく自分に厳しい彼のことだ。きっと一生悔やみ、己自身を罰し続けるだろう。そうでなくても彼の過去には重い罪や罰が既にいくつも刻み込まれているのだから。
そうした想いが、彼よりも先に斎の身体を突き動かしていた。
「………」
要を殺そうとした自分の前に立ち塞がり、それを邪魔する斎の姿を、朱羅は黙って見下ろしていた。
負傷している斎の顔には汗が流れ、ギリギリと鳴る自分を制止する彼の腕や身体が小刻みに震えている。
だが、朱羅の視線はすぐに斎から、彼の後ろに立ち上がる要に映った。
「―っ…くそっ……!」
朱羅を制止している斎はすぐにその光景に気が付き、朱羅の腕を力いっぱい撥ね退けて距離を取り、背後に立っている要が自分に振り下ろした手を掴み、制止する。
「っ……要っ………お前もさっさと目、覚ませ……!」
「…オ、前……は、消エろ……」
目の前で躊躇することなくギリギリと手に持ったナイフを制止されても尚突き動かそうとする要の目からは光は消え、彼の言葉にも表情にも生気が感じられなくなっていた。
「くぅっ……!」
今までも何度か要と手合せをしたことはある。
彼の身体能力の高さはその時に知ってはいたが、それでもいつも斎が勝っていた。
だが、今の彼の力は斎が知っている彼のものを超えていた。踏ん張って彼を制止してはいるが、力を抜けば腕の骨が折れ、肉を突き破って外に出てくるのではないかと思えるほどの圧力に、負傷した斎の限界は確実に近付いていた。
「くそっ……!!」
斎は体勢を変えるべく、一瞬力を抜いて前傾姿勢になった要を地面に倒れ込ませ、馬乗りになって手に持ったナイフを引き剥がそうとする。
…が、自分にとって不利となった体勢になっても要の様子は微塵も変わらず、瞬きをしたい赤い瞳が斎を見上げ、ナイフを奪おうとする彼を良しとはせず、今まで以上の力でナイフを握り締めた。
「くそっ……何て力だっ……!」
斎が両腕で渾身の力を込めて彼からナイフを奪おうとしているというのに、彼の手からナイフが離れることはなかった。
「―っておわっ…!!」
そうしていると要は一気に上体を起こし、自分の上に載っていた斎を地面に叩き付け、今度は斎が彼の下敷きとなった為、形勢を逆転されてしまった。
「要っ……目を覚ませっつってんだろーがっ…!!」
斎の声は虚しく空に散り、彼の耳にはやはり届かない。
要は両手でナイフを握り締め、斎の心臓に狙いをつけて振り上げ、一気に下ろした―
「ガッ……!!」
振り下ろされたナイフは、斎の肩に突き刺さった。
身動きの取りにくい状態ではあったが、斎は僅かに身体を動かし、ナイフを突き立てられる場所を心臓から外していたのだ。
「か、なめっ……いい加減にしろ、よ………」
血が地面に流れ、彼自身の服を赤く染めあげていく。
それでも要は顔色ひとつ変えずに自分が肩に突き立てたナイフを一気に抜き取った。
「ぁガッ………!」
斎の低い呻き声が響く。
元々負傷していた斎に新たな傷が増えたことにより、彼の意識は先程より多少なりともおぼろげなものになってしまっていた。
そしてそんな意識の中、彼はひとつの決断をした。
「………」
自分の上に乗った状態で、要は再びナイフを振り落した。
今度は確実に斎の心臓にナイフを突き立てる為に。

―だが…

「悪ぃ……要……」

低い謝罪の言葉が僅かに周囲に響いた後、ナイフが肉を突き刺す鈍い音が続いた。

その音が響いた後、ドクドクと流れ出る赤黒い血が、斎と要の手を染めていく。
そして、要は自身の胸へと僅かに視線を向ける。
そこには、自分が斎に振り下ろした筈のナイフが深々と突き刺さっていた。
「………」
再び斎に視線を戻すと、彼は無言のまま、眉を顰めた表情で目を微かに潤ませながらこちらを見つめていた。
要は彼の上に馬乗りになっていたが、自然と体の力が抜け、斎の横に崩れ落ちるように倒れ込んだ。
ナイフが突き刺さった心臓は今でも活動を続けていた為、流れ出る血は彼の服は勿論、地面にも血を赤く染めあげていく。だが、流れ出る血の量に比べて痛みはほんの僅かしか感じられず、まるで転んで出来た掠り傷程度のものだった。
それなのに次第に身体に力が入らずに両腕は地面に落ち、未だ脈打つ心臓の活動も次第に弱まっていく。負傷による痛みよりもこの"違和感"の方が今の彼にとって最も感じ取れることの出来るものだった。
空を見上げた状態で次第に重くなっていく瞼。
要はそんな中、自分の視界に入ってきた斎の顔に気が付いた。
彼は悲痛な表情で、だが、この行動を取った自分に絶望するでもなく悲しみに狂うでもなく自分を見下ろす彼からは、強い決意を感じ取った気がした。
そして意識が完全に途切れる間際、要の口から言葉が漏れた―

「………悪ぃ……、つき………。……皆を、頼む………」

擦れた言葉でそれだけ遺すと、要の瞼は完全に閉じられた。
だが、要の死に顔は穏やかだった。
「っ……………済まない………済まない、要っ………」
斎は静かに拳を強く握りしめながら、僅かに肩を揺らし、静かに謝罪の言葉を述べていた。
だが、斎はいつまでも悲しみに暮れてはいられなかった。
彼は数分間の沈黙の後、俯いていた状態から顔を上げ、今まで黙ってこちらを見続けていた朱羅に視線を移す。
好戦的な種族であると聞いていたし、あの映像を見て覚悟はしていたが、斎が要と交戦している間、彼は何もせずにただ黙ってその場に立っていた。
こちらの同士討ちを待っていたのかとも考えてはいたが、それも腑に落ちない。
だが、そんなことを考えている余裕は今の斎にはない。
完全なキリスではなく、言わば『キリスもどき』だった要とは違い、彼は"本物"であり"オリジナル"だ。作られた存在ではなく、元からそうであった存在。そんな彼にただの人間の自分がどの程度抵抗出来るかなんて全く分からない。
だが、斎は以前、彼と―御堂朱羅と約束を交わしていた。
彼がキリスの血に飲み込まれた時、自分が彼を止めるのだと。
その決意が、要を手に掛けた自分に対する自責の念や彼に対する罪の意識を決意に変え、彼を奮い立たせる。
朱羅は手に持ったナイフをほんの僅かに強く握り締めた瞬間、斎との間にあった距離を一瞬で詰めてきた。
「―っ!!」
その速度は斎から見れば、彼の姿が消えたと思った次の瞬間、自分の目の前に突如姿を現したと感じる程の速度だった。
斎は武器を何も持たないまま、反射的に両腕を顔の前に出し、朱羅の攻撃を防ぐが、彼のナイフはそれよりも先に斎の肉を裂き、服は勿論皮膚や肉をも一瞬で切り裂いていた。
だが、彼にとっては未だ"手慣らし"なのだろう。どの傷も深くはなく、血がツゥ…と軽く滴る程度だった。ほんの僅かの時間、自分の傷の程度を確認する為に腕の力を弱めた斎だったが、そんな僅かな時間さえも彼は見逃しはしなかった。
「―ッ……!!」
顔を横に逸らし、痛みに顔を歪めた斎の額から血が垂れ落ちた。
彼の額の中央に、朱羅がナイフを振り落し、1本の傷をつけた為だった。
その傷は腕の傷よりも深く、血は滴り落ち続けたが、それでもやはり致命傷とは程遠いものだった。
「………朱羅………」
体中傷だらけになった斎だったが、それでも目の前に立っている彼を諦めきれない自分に気付いていた。
要を救えなかったから……というのも確かにある。
だが、そう思う要因がそれだけではないことに彼自身も気が付いていた。
斎自身が彼に対して1人の人間として好意を抱いているということも勿論あるが、何よりも彼のことを心から愛する瑪瑙のことを、斎は今でも愛していたからだ。
彼女は朱羅と一緒にいる時、心から幸せそうな表情を見せる。普段から笑顔の多い彼女ではあったが、それ以上に穏やかに、幸せそうに微笑むようになった。ただ彼の傍にいられるだけで、それだけでとても幸せなのだと、彼女の雰囲気や表情がそう物語っていた。
そんな彼女を見ている時間が、彼にとっての1番の幸せな時間なのだ。

朱羅と瑪瑙には幸せになって欲しい。

その為に、彼を此処で失う訳にはいかないのだ。

斎は心を決め、要の心臓に突き刺さっているナイフを静かに抜き、服で彼の血を拭い取り、それを手に持った。
彼を負傷させることが出来るとは思わない。だが、彼を傷付ける決意なく取り戻すことは更に難しいと斎は考えていた。だから武器を取り、決意を具現化し、更に自分の決意を確固たるものにした。
体を動かせば傷は痛み、動きも感度も鈍る。だが、それでも黙って殺される訳にはいかない。
斎は静かにその場に立ちあがり、1度深呼吸をしてから朱羅に視線を移す。
次の瞬間、空気は動き、再び目の前に朱羅が在った。
「くっ…!!」
斎は眉を顰め、彼の攻撃を防ごうとするが彼の速さに追いつくことなど無理に等しく、両腕を盾にして致命傷を防ぐことくらいしか出来なかった。
彼はまだまだ本来の能力の半分すら出していないのだと、斎は何となく感じ取っていた。傷はどれも浅く、故意に動脈や致命傷となる箇所からずらした箇所を的確に狙ってきているからだ。そうしているとやっと、斎は彼の細い手首を掴むことが出来た。
あちこち傷付けられた自分とは異なり、傷一つ受けていないどころか全く息を切らしていない彼は、真っ赤に染まっていながらも美しく、惹きつけるような硝子の瞳でこちらを見つめてくる。
「朱羅っ……頼む、目をっ……覚ましてくれ……!」
斎の懇願が周囲に響く。
それでも朱羅の表情には一切変化はない。
…が…
「………、つき………」
「!」
今まで無言だった彼の口から、僅かに声が発せられた。
「……ぃ、………つき………」
「朱羅………朱羅…!!」
確かに自分の名を呼んだ朱羅に、斎は僅かな光を見た。
彼の中には未だ、自分や瑪瑙が慕い、大切に想っている朱羅が残っているのだと確信したからだ。それに加え、自分を呼ぶ彼の腕の力が僅かに弱められていることにも気が付いた。

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