+ ACT.40  秘めし望みと新たな環境 ( 1/2 ) +
ACT.39 << Story Top >> Next


廊下を進み続け、最後のドアを開けると真っ白な壁と天井が広がっていた。






 ACT.40  秘めし望みと新たな環境






朱羅は予め湊から聞いていた、瑪瑙と斎が休んでいる病室を訪れていた。
斎と瑪瑙は別室で治療を受けていたが、2人も命に別状はなく、硝子越しに彼等を見ても無事を確認することが出来た。斎は全身に傷を負いながらも意識を手放さず、運び込まれる瑪瑙の身を最後まで案じていた。それだけでなく、先に湊の部下達によってERASEの宿舎に送られたホームの仲間達とは別に、1人残された朱羅のことも案じていた。「絶対に1人で行くな」これが最後に彼が朱羅に向けて発せられた言葉だった。
あんなボロボロの姿になりながらも最後まで仲間達の身を案じる斎の姿は、それだけ朱羅の心に深く刺さり、朱羅が抱いている己の犯した罪の意識も深く刻み込まれていた。
静かに眠っている斎の姿を硝子越しに見ながら、朱羅の拳は強く握り締められる。
そして朱羅は、斎の病室から少し脚を進め、瑪瑙の病室に映る。
斎同様薄緑色の病衣を着せられ、静かに眠っている瑪瑙。
朱羅に執着していた瑠唯が、朱羅が愛している彼女に対して何かしら仕掛けてくることは容易に予測が出来たし、実際に彼が瑪瑙に対して接触してきたり危害を加えたこともあった。それなのに自分は彼女を護り切れなかった。すぐ近くに、傍にいたのに。
悔やんでも悔やみ切れないその思いが、今の朱羅の多くを支配している。
だがそれは、今に始まったことではなかった。

―いつだって俺は 悔やんでばかりだ
朱羅の脳裏にその言葉が響く。

自分で自分が情けない。
いつも後手に回り、自分が良かれと思ってとった行動が裏目に出てしまうことばかりだった。
初めて護りたい、自分が護るのだと決めた姉をこの手に掛け、大切な家族であった白狼のベオークも自分を庇って命を失った。兄のことも、兄が自分に対して劣等感を抱いていることを知っておきながらも、兄の本来持っている能力の高さを知っていた自分はいつだって兄のことを尊敬し、慕っていたけれど、それが兄の負の感情を増幅させてしまったことも自分の愚かさ故の結果だ。
その事柄に関して全て自分に責任があるとは思っていないし、そんなことを認めてしまえばそれこそただの逃避となる。悩むことは勿論、思考することさえも放棄し、全てを自分の責とすることなど、魂の抜けたただの肉塊と何も変わらない。
悔やんでばかりの日々を過ごしてきた朱羅だったが、それでも彼が今でも自我を捨てず、全てを放棄せずに生きているのは、心の何処かで願っているせいなのかもしれない。
自分の犯してきた罪の償いというだけの人生ではなく、自分自身の為にも生きる意味のある存在意義が何処かにあるのではないかということを。生きる目的を見失い、他人にそれを委ねていたその時の自分はただの人形で、委ねられていた相手を狂わせてしまった。だから、委ねてしまってはいけなかったのだ。改めて今、朱羅は思う。
相手に自分の存在意義を委ねるということは、自我の放棄というだけでなく、多かれ少なかれ必ず相手の負担となる。それを実際に経験した朱羅は、彼が殺されてしまった今でも自分の罪のひとつとして認識はしているが、だからこそ自分はここで終わってしまってはならないのだという意識が芽生え始めていた。

―今度こそ 護りたいひとを護る

その思いが少しずつ強まっていることを、朱羅自身も感じていた。
例えこの意思によって愛する者を悲しませることになったとしても、それでも自分は失いたくない。
例えこの意思がエゴでしかないと責められることになったとしても、それでも自分は護りたい。
今の自分にとって、それが精一杯のことなのだろうとも思う。
心優しく、いつでも相手のことを第一に考える彼女の事だ、自分が怪我を負わされてしまったというのに、目が覚めればきっと朱羅のことを1番に案じるだろう。
そんな彼女のことを、朱羅は心から愛している。

「…瑪瑙、君が俺を変えてくれたんだ…」

そう呟いた朱羅の表情は彼女に対する愛しさと、僅かな哀しみが混在しているかのようだった。
きっと、以前の自分だったらこんな言葉に表せることの出来ない感情を感じ取ることは出来なかっただろう。それどころかこの感情を感じ、認識することさえも避け、良しとはしなかっただろう。
だが、彼女によってゆっくりと溶かされていった彼の心は、それを受け入れ、認め、自分のものにしようとしている。
苦しむことも悲しむことも安易に切り捨てず自分のものとして受け入れることによって、本当の意味での強さを得、生きる意味を見出すことが出来るのだと1番に体現してくれたのは彼女だった。
いつでも自分のことを案じ、そっと傍に寄り添い、支えてくれていた瑪瑙。
そんな彼女は、今まで出逢ってきた者達とは明らかに異なっていた。
今まで自分の傍にいた者達は皆、朱羅に対して強引に迫り、貪るだけだった。朱羅自身の意思など関係なく、ただ自分の欲望を満たす為、朱羅に暴力を振るったり、性行為を強要してきた。
瑠唯に関しては始めのうちこそ朱羅の傍に寄り添ってくれてはいたが、結局は自分の欲望を彼に強要し、自分の所有物として朱羅を認識するようになってしまった。
更に遡り、御堂家が健在だった頃には、姉は狂った形の愛情を朱羅に一方的に注ぎ、兄はそんな自分を恨み、憎み、怒り、暴力を振るった。御堂家を出てからも朱羅に纏う無自覚な魅惑が周囲の人間を誘い、誘われた者達は皆、朱羅に肉体関係を強要するような者達ばかりだった。そんなことばかりが続き、ある人には朱羅自身が相手を無意識に惑わせてしまっているのだと言われ、またある人には朱羅が相手を狂わせると言われたこともある。まだ幼い朱羅に投げられたその言葉や現実達は少しずつ朱羅の意識やこころを侵蝕し、感情を奪い、無意識に働き始めていた自衛本能に拍車をかけた。
相手を狂わせるのも、それによって自分が苦しむことも、全ては自分が原因。
だから自分の周りにいる人間達は皆、自分に強要し、貪るのだと。
そんな自分の思考を変えてくれたのが瑪瑙だった。
今まで朱羅の周囲にいた人間達は皆、彼を自分のものにしようと始めから強要してきたり、強要とはいかなくとも強引に迫ってくることばかりだったが、彼女は違っていた。
心を閉ざしていた朱羅にとっては多少強引とも言えたのかもしれないし、実際、当初は違和感のようものを感じていたが、それでも誰かが自分の身を心から案じ、時には暖かな言葉を掛け、傍にいてくれたことは初めての経験だった。
強要することなくただ傍に寄り添ってくれる彼女のことを、始めは経験がない為に理解が出来ず、警戒してしまっていた。だが、それでも彼女は自分の希望を朱羅に強要するでもなく、ただ純粋に朱羅のことを気遣ってくれていた。
強要せずに寄り添い、朱羅が少しずつ周囲を受け入れられるようになっていく姿を、彼女は心から喜んでくれていた。彼女にとってひとの幸せそうな姿を見ることは生き甲斐であり、ひとの幸せが自分の幸せなのだと心からそう想っているからこそ、彼女の周りにひとが自然と集まり、慕い、愛されるのだろう。
そんな感情を抱き、誰かに惹かれたことは朱羅にとっては初めてのことで、自分でも驚くべき変化だった。
始めの頃は自分にないものを沢山持っている彼女の人間性に惹かれ、彼女のことをもっと知りたいと思うようになった。自分で何かを望むこと自体が既に朱羅の変化のひとつではあったが、その後、それ以上の変化があった。
それは、朱羅が彼女のことを恋愛対象者として愛し始めたことだ。
幼い頃にはまだ歪んでいない愛情を注がれていたことは何年間かはあったが、その後の家庭崩壊で味わった苦痛がその全てを飲み込んでしまったことにより、朱羅の中にそれまで確かに在ったひとを愛するこころは仕舞いこまれ、その存在を失ってしまっていた。
だが、瑪瑙に好意を抱き始めたということは、奥底に仕舞いこまれていたその感情が再び芽を出し、実り始めたことを表していた。
自分の瑪瑙に対する感情が少しずつ変化していくことに、始めは気付いていなかった。
だが、その感情を自覚したとき、朱羅の中に動揺は一切なかった。それは朱羅自身驚くべきことなのだろうが、極々自然に彼女への想いを受け入れることが出来たのだ。
本来であれば心を閉ざしてきた少年が1人の少女を愛するようになったとなれば、きっと少年は動揺するだろう。この感情は何なのか、この感情は知らないと。だが、朱羅の中では本当にしっくりと馴染んだのだ。違和感も動揺もなく、寧ろ彼女のことを愛したことは極自然なことなのだと感じられるような程に。
そんな風に朱羅が動揺することなく自分の本心を受け入れられるように変わっていったのも、きっと彼女のお陰なのだろうと朱羅は思った。
自分自身でも気付いていなかった変化。
それを彼女は、彼女自身も無自覚のまま、朱羅に与えていたのだろう。

「………」
数分間口を閉ざしたまま瑪瑙を見つめていた朱羅は脚を動かし、彼女に背を向け、その場を後にした。
「…見ない顔だな」
不意に声を掛けられ、朱羅は脚を止めた。
「ああ…お前があの御堂朱羅か?」
そう言って膝を曲げ、自分の顔を覗き込んできたのは、湊も着ていた濃紺の制服に身を包んだ、長身で、黒髪と蒼の瞳を宿す褐色の青年だった。湊と同じ制服を着用しているということは、彼も彼女同様、暗部の人間なのだろうということが分かる。
「そうですが、何か御用ですか」
自分の顔を見回す彼に対し、朱羅は動揺することも制止することもなくそう問いた。
「確かに整った顔立ちだな」
最後に僅かに目を細めてそう言うと、青年は曲げていた膝を再び正した。
「こんな所で何をしている」
「友人の様子を見に来ただけです」
朱羅は直ぐに答える。
「あまり構内をうろつかない方が身の為だ」
「何故ですか」
「お前は貴重な血を宿す半キリスなのだろう。研究所の人間達もお前にとても興味を持っているからな。うろついていると攫われるぞ」
青年は朱羅に対して警告してくれているようだった。
それが、湊の言っていた"貴方達の存在価値"―正確に言えば"朱羅の存在価値"のひとつなのだろう。
単に有能な隊員になるというだけでなく、万が一隊員として使えなかったとしても、朱羅にはもうひとつの価値―貴重なモルモットそしての価値がある。湊は話してはいなかったが、それは始めからわかっていたことだった。
湊自身はそんなことは考えていないだろうが、優秀な人材である湊が見極めた少年が必ずやこの組織の支えとなるという理由だけで上層部は朱羅達に対する勧誘を良しとはしないことは容易に予測がつく。そうであればそれ以上の価値を彼等に提示しなければならない。
それが、朱羅の身体に宿る"キリス種族の血"だったのだろう。
ERASEは御堂家がまだ存命していた頃から既にキリス種族の研究を行っていたことは幼い朱羅も知っていた。その血を第一の目的として、彼らが潰れるか潰れないかの危うい岐路に立たされていた御堂家を支援していたことも知っている。
始めからきっと、彼らは御堂家の滅亡を望んでいたのかもしれないし、その貴重な血を得る為に御堂家を生かし続ける目的もあったのかもしれない。
どちらにせよ、行方の知れない兄以外にERASEが今現在得ることの出来るキリスの血を宿す者は朱羅1人しか存在しない。それが、彼等に湊の要望を良しとした最大の理由であることは明白だった。
「御忠告、ありがとうございます」
朱羅は律儀に感謝の言葉を述べ、一礼する。
「モルモットとしてもそうだが、噂通りキリスの血を宿す者は皆顔立ちの整った美形ばかりというのも事実のようだからな。そういう意味でも気を付けておいた方がいい」
まだ幼い朱羅に対する配慮なのか、青年は少々言葉を濁しつつ忠告した。
「世の中には様々な性癖の人がいますからね。気を付けます」
まだ10代でありながらもこういった事情に詳しく、且つ実体験も少なくない朱羅にとっては何の違和感も不快感もない忠告に、彼は再び礼を告げる。
「おーい石動(イスルギ)ぃー…………ってわああああ!」
突然、廊下の向こうから賑やかな声に続き、こちらに拘束で向かってくる音が響き渡る。
「わあああ!わあああ!本物だー!」
「っ…ちょ、……」
急に大声が響いたかと思えば何故か今、朱羅は何者かによって思い切り抱きしめられている。
前触れもなく突然自分に襲い掛かった出来事に、朱羅は少々戸惑いを見せていた。
「君があの御堂朱羅君だね!わあああまさかこんなに早く本物に出会えるなんて僕は幸せだよー!!」
声の主に両腕で華奢な朱羅を力任せに抱きしめ、頬擦りされていることだけは分かる。だが、この状態ではその声の主のことを視覚的に確認することもままならない。
「…おい善珠(ソンジュ)、御堂が混乱しているぞ…」
「え??あ、…ああ!ごめんごめーん!」
青年―石動に忠告された声の主―善珠は慌てて朱羅を解放すると膝を折り、朱羅の視線に合わせて続けた。

[ ↑ ]

ACT.39 << Story Top >> Next