+ ACT.41  課す条件と課される条件 ( 2/2 ) +
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「……組織の駒か………」
視線を湊から外し、朱羅は顔を俯けながらそう呟いた。
朱羅か瑪瑙か。
最も選びたくない選択肢を突きつけられ、斎は心を痛めていた。朱羅と共に組織に所属すると言う事は、朱羅の傍にいられるのは自分だけ。例え離れてしまったとしても瑪瑙の傍には何人もの仲間達がいる。そんなことを考えてしまう自分を責めもしたが、実際問題、自分にはその選択肢しか与えられていないのだ。
そうなれば斎が選ぶ選択肢は決まっている。否、既に決められていると言っていいのだろう。湊が朱羅を1人にしてはおけないという斎の想いに気付かない筈がないのだから。
朱羅を1人に出来るのか。
答えはNoだ。能力的な意味で考えれば十分朱羅は1人でも生きていくことは出来るだろう。だが、だからこそ彼を1人にはしておけない。折角失っていた感情を取り戻しつつあると言うのにそれをまた失ってしまうだなんて悲し過ぎる。もし1人になってしまった場合、彼は自身を今まで以上に責め、厳しくするだろう。自分に厳しい彼故に要や斎、瑪瑙、ホームの皆に対して自責の念を抱いていることはすぐに察することは出来るし、今までもずっと苦しい生き方しかしてこなかった彼をたった1人でそんな痛みや苦しみしかない世界に飛び込ませたくない。
「……俺は、仲間達の身の安全の保障が出来るのなら、別に構わない」
斎の決意が言の葉に載せられる。
「…斎…」
彼の言葉を聞いた朱羅は、彼の名を呼び、見つめた。
「俺が信頼する朱羅があんたのことを買ってて、そんなあんたが皆の身の安全の保障をしてくれるというのなら、それは信用に足ることなんだろうよ。それに、例えあんたが失墜しても朱羅があんたの代わりになってくれるんなら、これほど頼もしいことはないからな」
でも、朱羅1人には背負わせない。
斎の中にはそんな信念が生まれ、既に深く根付いていた。
仲間や瑪瑙のことが心配であることには変わりはないが、ただの小さな子供に過ぎない自分が、比べ物にならない程巨大で恐ろしい存在であるこの組織に、一体どんな抵抗が出来るのだろうか。自分の取る抵抗は、幼い子供が駄々を捏ねている程度にしか認識されないだろう。
例え既に見切られた道だとしても自分で考え、最善だと判断した選択肢を選ぶことが、今の自分に出来る最大の抵抗であり、意地でもあった。
「それが斎君の答えと取って構わないのかしら」
常にあった彼女の笑みは消え、彼にそれで本当に良いのかと問いただすかのような色を載せた瞳で見つめられ、斎は自嘲にも似た笑みを見せた。拒否権のない選択肢を与えておきながら本当に貴方はそれで良いのかと尋ねてくる彼女は本当に強かで、厄介な相手に目を付けられてしまったものだと笑うしかなかったからだ。瑠唯のように嫌悪や怒りしか抱くことの出来ない相手の方が余程楽だと言うのに。
何処か諦めにも似た笑みを見せる自分の姿は、朱羅には一体どのように映っているのだろうか。
呆れてしまっただろうか。頼りなく映っているだろうか。それでも今の斎には自分を取り繕う余裕は殆どなく、今見せた笑みが精一杯の仮面だった。
「心が決まったところで申し訳ないけれど、もうひとつ、貴方達にとって重要な条件が追加されたわ」
それまで聞き慣れたトーンで話して湊の声質が、僅かに変化した。
「条件の追加…?」
斎は、これ以上自分達に一体何を強要するのかと言いたげに眉を顰める。
「貴方達の友人達の記憶を、一部消去することが条件に加わったわ」
腕を組み、朱羅と斎を真っ直ぐに見つめながら、彼等がどのような反応を示すのかを確認するかのように僅かに目を細め、湊は言う。
「……記憶を……消す…?」
彼女から発せられた言葉に、変わらず声も発さず、表情も変えずに見つめている朱羅とは異なり、斎の表情と声質は明らかに変化していた。
「消去する記憶の対象は此処に来てからの全ての記憶と、貴方達2人と過ごしてきた記憶。此処は慈善団体でもばければ、一般人にその存在を進んで晒すような組織ではないことは貴方達にも分かっていることだと思うわ。それに、この組織の人間となれば全員戸籍は抹消され、実質死人と変わりのない存在となる。そうなれば死んだ人間のことをいつまでも引き摺って生きていくのは彼等にとってとても辛いことでしょう」
湊は変化を見せない朱羅を1度だけ見つめると、項垂れるように目を見開いている斎に視線を移し、続けた。
「色々考えられる理由はあるだろうけれど、簡単に言ってしまえば機密保持の為の処置、ということだけれど―」
「俺達の未練を絶つ為。そういう意味もあるのでしょう」
湊の言葉を遮るように朱羅は口を開いた。
「ええ。そういう意味もあるわ。貴方達が不用意に組織の裏切り者とならない為のひとつの手段、ということね。彼等の中から自分の記憶が抹消されれば、彼等に再会することは彼らにとって混乱の要因となる。1度消された記憶が再び何らかの条件化において修復されることは0とは言えない。けれどそうなった場合、彼等の記憶が例え戻ったとしても貴方達との別れは必至。そうなれば辛い思いをするのは彼等の方。勿論、貴方達も辛い思いをするでしょうけれど」
淡々とそう語る湊に対し、斎の動揺は明らかに増していた。
"大切な仲間達に忘れ去られる"
それが、仲間を何よりも大切に、そして生き甲斐にしている斎にとってどれだけ辛いことなのか、すぐ近くにいる朱羅はそんな彼を想い、そっと彼の手を握った。
「貴方達だって、彼女に何度も自分達の別れを経験させたくはないでしょう?」
その言葉が、深く2人の心を抉った。
1度だって辛いのに、2度も想い人との別れを経験させなければならないだけでなく、3度も4度もそんな経験をさせるなど、とても出来ることではなかった。そんなことをしてしまえば、どんなに芯の強い彼女であっても、きっと心を壊してしまう。それだけはあってはならないことだった。
「まだ心が決まっていない段階でこの案件を更に追加すれば益々混乱してしまうと思って分けて話してみたけれど…、それでもやはり精神的な負荷は否めなかったわね」
湊は黙りこくってしまった斎を見つめ、静かにそう言った。
「でも朱羅君は流石ね。全く動揺が見られないし、自分の決めた意思にも影響はなさそうだもの」
湊はにこりと満足気に微笑みながら朱羅に視線を移す。
「…このような組織が、彼等の生活を保障することに加え、無条件に彼等を解放するだなんて考えてはいませんでしたから」
朱羅は冷静なままの表情に、どうしようもない憤りの色を僅かに載せながら彼女に答えた。
「貴方達にとても辛い条件を課していることは分かってる。それでも私は貴方達をみすみす逃すような真似はしない」
そこで言葉を一旦区切ると、湊は静かに朱羅に歩み寄り、彼の頬に手を添える。
「―特に朱羅君、貴方はこれからのERASEに必要な人材だから」
静かに朱羅の顔を上げ、硝子細工のように透き通り、美しい色を放つ菫の双眼を真っ直ぐに見つめ、湊は自分の本心を語る。
「………」
朱羅はそんな彼女の手を掴み、自分の肌から話すと彼女から斎に視線を移した。
「まだ時間はあるからよく考えるといいわ。結論までの時間は変わらず斎君の退院後から数えて2日間。3日目の朝9時、2人の出した答えを聞くことにする」
朱羅の反応に対して特に悲しげな表情も不愉快な表情も見せることなく再び微笑を見せ、湊は明確なタイムリミットを設定した。
「……わかりました」
普段と変わりのない声質で返答する朱羅に対し、斎は黙ったままだった。彼女を見る訳でも朱羅を見る訳でも怒りや苦しみをぶちまける訳でもなく、ただ静かに俯いている。そして朱羅は彼の手を握ったままだ。
「それじゃあ失礼するわ。ゆっくり休んでね、斎君」
それだけ述べると、湊は病室を後にした。
彼女が去ってから共に言葉を発することはなく、病室の外から聞こえてくる足音やスタッフの声が耳に入るだけの時間が流れる。
「…………で……」
不意に、斎の口から弱弱しい声が発せられる。
「………んで…………なんでお前………は、動揺しないんだよ………」
斎が、朱羅に添えられている手を力一杯握り締めながら声を絞り出すように言う。
「皆っ……から………、瑪瑙…から……………っ…瑪瑙から!忘れ去られるって言うのに!何でそんな平気そうなんだよ!!」
怒号を上げながら朱羅の胸倉を掴み寄せ、斎は自分の中に留めておけなくなるほどに大きくなってしまった憤りを、そのまま朱羅にぶつけた。今まで1度も見たことのない彼の深い憤りに支配された表情は、朱羅にとっても見ていて辛いものだった。それでも朱羅は、涙で滲んだ琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめ続けた。
「………済まない………」
そんな言葉しか、今の彼に掛ける言葉がなかった。
「―っ……ふざけんな……!!」
力任せに朱羅を突き飛ばすと斎は顔を俯け、両手で布団を思い切り握り締め、肩を震わせていた。
ぼろぼろと斎の瞳から溢れる涙が布団を濡らし、1度流れ出てしまった涙は止まるどころか勢いを増し、今の彼から溢れ出てしまったどうしようもない怒りや哀しみ、苦しみや憎しみがそのまま流れ出ているかのようだった。
―ちゃんとした"こころ"が今の自分にあれば、自分も彼のように怒り、涙することが出来たのだろうか…
斎の姿を見た朱羅の脳裏にはそんな言葉が響いていた。
現状に対し、自分も憤りは感じているし、哀しみも苦痛も感じている。その筈なのに彼のように動揺もなければ涙が込み上げてくる気配もない。これが、欠陥品となってしまった自分の姿なのだと、そう感じざるを得なかった。
彼からすれば、こんな状況でも動揺することなく冷静でいる自分に怒りを覚えることは当然のことだろう。自分の大切な人達から自分の記憶が消され、忘れ去られてしまうと言うのに泣くことも怒ることもなく普段通りでいる人物がいれば、腹立たしくもなる。そういう認識自体は今の朱羅にもあった。
「…今更こんなことを言ってもどうしようもないことだし、自分でも情けないとは思うが………俺が全ての元凶だ。俺が斎達と出逢わなければ、斎達は離れ離れになることはなかった」
朱羅の拳も、静かに強く握り締められる。
「それでも俺は、斎や瑪瑙や皆に出逢えて良かったと、心から思っている」
心からの想いを、朱羅は斎に静かに伝える。
「…俺のことを恨んでくれて構わない。それだけの罪を、俺は犯してしまったのだから」
寧ろ、恨んでくれた方が楽だった。これが朱羅の本心だ。
「また明日来る。ゆっくり休んで―」
斎から視線を外し、別れの言葉を伝えながらドアに向かおうと動いた朱羅の身体が、不意に何かに引き寄せられた。
「っ………」
気が付くと、朱羅は斎に抱きしめられていた。
両腕で力一杯抱きしめられている為に少々息苦しさを覚えはしたが、朱羅は彼の背中に両腕を回し、抱きしめ返した。
「っ……がうっ…………ち、がうっ………。俺、は………朱羅に怒ってる訳でもっ…朱羅…を、恨んでいる訳でもっ…………、ないっ………」
自分の胸に顔を押し付け、大きな身体で小さな子供の様に泣く斎の頭を、朱羅は優しく撫でる。
「ごめっ………ごめんっ……朱羅っ………、ごめん……!」
必死に自分に謝罪の言葉を伝える斎の姿は、見ていてとても辛かった。仲間想いで優しい人間である斎だからこそ、この現状は今までにないほどショックなことだと言うのに、そんな事態を引き起こしてしまったのは自分であると言うのに、それでもそんな自分に謝る彼の姿は、どうしようもなく辛く、そしていとおしいと想った。大切な仲間であり、家族である彼のことを大切に想っているのだと、朱羅は改めて感じた。
「…斎が、俺に謝る必要はない」
斎の頭に頬を寄せ、小さく華奢な身体で自分の倍以上程ある斎の身体を包み込むように抱きしめると、朱羅は優しい口調でそう伝えた。
「朱羅………朱羅っ…………」
自分の名前を一心に呼び、抱きしめる両腕の力を増す斎は、大きな体であると言うのにとても小さく、脆いもののようにも感じられた。だがそれは以前から感じていたことでもあった。
斎の仲間に対する想いは過剰であることは以前から気付いていたし、瑪瑙や要もそんな彼のことを案じていた。仲間はいなければ恐らく、斎は生きては行けない……そう、朱羅も感じ取っていた。
だからこそ、自分がそんな斎の大切な家族が住まうホームに居心地の良さを感じてしまったとき、何処か罪悪感のようなものを感じていることにも気が付いていた。自分が、大切なものを壊すことしか出来ないこと知っていたからだ。
それでも離れることが出来なかったのは、心の底からこの場所をいとおしいと想っていたから。そして、大切な想い人である瑪瑙や大切な仲間である斎達と共にいたいと心から願ったからだ。
今の自分には、大切な仲間達を奪うことになってしまった斎や瑪瑙、他の仲間達に対して罪悪感と、そして言葉に出来ないほどの感謝の気持ちが共存している。だからこそ自分は、元凶となった自分だけは強くあろうと思ったのだ。泣き、怒り、叫ぶ権利は自分にはないし、始めからそんなつもりもない。仲間達の怒りや哀しみをう全て受け入れ、恨まれ役を買うつもりでいた。
「っ……ら………朱羅………頼む……暫く此処に、いてくれ………。俺の傍、……―っに、いて……………」
骨の軋む音が聞こえてくるのではないかと思うほど強く強く抱きしめられている朱羅に、斎はその腕に込められた力とは正反対に弱弱しく消え入りそうな声で懇願する。
「斎がそう望むのなら、斎が落ち着くまで俺はずっと此処にいる。だから、安心して欲しい……」
朱羅もまた、彼を更に強く抱きしめた。
自分を恨み、突き放しても良いと言うのに、それでも斎は自分をそうすることなく傍にいることを許してくれた。自分の胸の中で今まで見せたことのない涙を溢れさせ、肩を震わせている斎の姿を見て、これから先、そんな彼を支えることが出来るのは自分しかいないのだと考えていた。
自分1人でホームの皆のように彼を支えることが出来るのだろうかという一抹の不安もなくはなかったが、それが自分の罪滅ぼしであると同時に―否、自分の意思として、自分は彼を支えたいと思っていることも感じていた。

そして彼女には―瑪瑙には、どのようにしてこのことを伝えようかとも考えていた。
涙するだろうか。怒るだろうか。反対するだろうか。素直に受け入れてくれるだろうか………
どんな姿であっても彼女に対して辛い現実を突きつけなければならないことには変わりはなく、心は重い。斎はこれから先も共にいる為、どうにか努力して傍で彼を支えることは出来る。だが、別離しなければならない彼女とは共にいることは出来ない。時々抜けたことをしてしまう天然さはありつつも、本来はとてもしっかり者で芯の強い女性。それでも1人でどうしようもない時に、今までは斎や要、そして自分がいた。だがこれから先、斎も要も自分もいない。そうなった場合、彼女は一体どうするのか。
心が軋む音を立てるような思いだった。
それでもきっと強い彼女のことだ、再び立ち上がり、歩み出すのだろう。元から人に心配させまいと接する傾向のある彼女ではあったが、本当に辛い時には傍にいる者達にその辛さを見せてくれることもあった。だからこそ彼女は今まで通り温和で優しく、強い女性のままでいてくれた。だが、今まで彼女が弱い面を見せていた者達がいなくなれば、彼女は今の彼女のままではいられなくなってしまうかもしれない。1人で何でも背負い込み、仲間達には一切弱音を吐かず、強い人間であろうとする女性に。
彼女には変わって欲しくないという想いがある。彼女には今の彼女のままでいて欲しいというエゴが。自分で突き放しておきながら変わって欲しくないなどと願うことはエゴ以外の何物でもない。でも、自分や斎のことを忘れてしまった後の彼女が、全く変わらないということは恐らくないのだろう。要を失い、斎や自分がいなくなった時にホームを支える人物は瑪瑙しかいない。他にサポートの出来る人物もいるが、主のリーダーとなるのは彼女だろう。そうなった時、少なからず彼女は変わる。それは恐らく避けることの出来ない変化。
複数の人物の前に立ち、責任を負うという立場に立てば、悲観的な変化ばかりとは限らないが少なからずひとは変わる。
今後、彼女が彼女自身の力でどう生きていくかなんて自分が考えることはおこがましいことだとは思うが、考えずにはいられない。これから先、彼女は自分のことを忘れて生きていく。別れと言う悲しい現実を忘れることが出来るのなら、それは不幸中の幸いなのかもしれない。辛い過去は少ない方がいい。辛い思いを糧として強く生きていくことも出来るだろうけれど、これ以上酷なことを彼女に強いたくはない。
本当に自分は身勝手で傲慢な人間なのだと、朱羅は感じていた。
彼女に相談せず、1人で決断したことは彼女に対して裏切り行為ととられても仕方のないこと。だからこそこの想いもエゴでしかなく、彼女に選択肢を与えない自分は酷い人間なのだろう。
自分の想いを一方的にぶつけてきた姉や兄と変わらない。やはり、血は争えないのだろうか……。
だが、どんなに恨まれようとも悲しい思いをさせようとも、彼女が生きていてくれればそれだけでいい。
それに尽きた。
どんなに考え、悩み、苦悩しても、最終地点はいつもここだった。
ここで皆殺しにされるよりずっといい。
大切な彼女が生きてさえいてくれれば、それだけでいい。

その想いを再確認すると朱羅は意識を斎に戻し、彼を支える為、抱きしめ続けた。



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