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いつの間にか自分の本当の望みに、願いに蓋をし、鍵を掛け、心の奥底に追い遣っている自分がいた。






 ACT.42  いつの間にか正当化していた偽りの心






斎の身体的治療はその後も順調に経過すると思われていたが、自分が仲間達と別れるだけでなく、仲間達の記憶から自分が消されると知ってから、彼は自発的に食事をとらなくなってしまった。Asuraの社員達の中には返答期限を先延ばしする為の悪足掻きと陰口を言う関係者もいたが、そんな筈がなかった。いつでも血色の良かった彼の顔色は分かり易い程に血の気が引き、目の光も朧げだった。
自分の治療を行う医師や看護師達に対する関心はほぼなく、辛うじて朱羅が訪れた時には反応を示す程度だった。朱羅が斎に食事をするよう促せば渋々ながら食事はとるし、弱弱しいながらも会話もする。だが、朱羅がいなくなると途端に無反応となり、まるで人形のようであると関係者達が話しているのを耳にする。

そんなある日、瑪瑙の意識が戻ったと知らせがあった。

朱羅は瑪瑙がいつ意識を取り戻しても良いように準備はしていたが、実際にその時が訪れると、どこか複雑な心境でいる自分に気が付いた。勿論、彼女が目覚めたことは嬉しいし、直ぐにでも会いに行きたい。
だが、意識が戻ってすぐの彼女に辛い現実を突きつける訳にもいかない。今日、明日くらいはその話には触れず、仲間達が元気にしていることや斎の容態等について触れるだけにしておくべきだろうと考えていた。
朱羅は瑪瑙の見舞いに訪れる前に斎を訪れ、彼女の意識が戻ったことを伝えた。斎もまた、始めは目を見開き、輝かせ、素直に彼女の目覚めを喜んでいたが、すぐに現実を思い出してしまったのだろう。喜びに満ちていた彼の表情に影が入り、俯き、口を噤んでしまった。それでも斎は彼女に会いたいと朱羅に言いかけたが、途中で再び口を噤んでしまった。こんな状態の自分を彼女に見せてしまえば、優しい彼女は心を痛め、彼女の方が回復に時間が掛かるというのに自分のことを案じてしまうだろうと考えたからだった。斎は自身の不甲斐なさ、情けなさに自嘲的な笑みを僅かに覗かせながら、1人で会ってきて欲しいと朱羅に言った。朱羅だって辛いのに、こんな役を任せ切りにしてしまって済まないと、斎は朱羅に頭を下げた。朱羅は斎が悪い訳ではないのだからと斎の頭を上げさせ、案ずることなく治療に専念し、彼女のことは任せて欲しいと言い、彼の病室を後にした。
廊下を出ると白衣を着た所員達が各々の職務を全うしていた。その中を1人歩き出すと、周囲の人間達の殆どが朱羅を見付け、視界に入れていた。ERASEはキリス種族の研究を昔から行っており、純血ではないとは言え、今となっては生きた化石と言っても可笑しくはないキリスの血を宿した存在が目の前にいる。彼等が朱羅に注視するのは当然のことだった。だが、朱羅を見る人間達の色は様々で、単なるモルモットとして冷たい色を乗せた目で見ている者がいれば、善珠のように羨望の眼差しで見る者もおり、その大半は人ではない別の生き物を見ているような物珍しげな色を乗せていた。
だが、その全てが今の朱羅にとっては気にも留めないものだった。今の朱羅には瑪瑙や斎、ホームの仲間達のことが最優先だったからだ。それに、モノを見るような目も羨望の目も物珍しげな目も、Asuraにいた頃から経験している朱羅にとっては珍しいことでも何でもなく日常の一部と化していた為、気に留めるに足るのもではなかったのだ。
その視線を潜り抜けると、視線の先−廊下の1番奥にある瑪瑙の病室のドアが見えた。ドア前に着くとほぼ同時に病室のドアが開き、中から看護師の女性が1人出てきた。
「―あら。貴方は確か……」
彼女は顎に軽く指を沿え、目の前に立っている朱羅を見つめていた。
「彼女の…―瑪瑙の容態はどうなのでしょうか」
朱羅は彼女の疑問を放置し、気になっていたことを率直に尋ねた。
「ああ、貴方が御堂朱羅君ね。大丈夫、少しずつだけど良くなっているし、会話も普通に出来ているわ」
看護師はそう言いながらにこりと微笑んだ。
「…そうですか。良かった…」
朱羅は安堵の表情を浮かべた。
「彼女、開口1番"朱羅君と斎君は何処?"って聞いてきたのよ。他の友達のことも同じく案じてた。とても優しいいい子なのね」
看護師はにこりと優しく微笑み、朱羅に言葉を掛ける。そう語りかけられた朱羅の表情は始めこそ優しく暖かい彼女らしい姿を微笑ましく感じ、無意識に綻びはしたが、状況が状況だけに、喜びや愛しさだけを内に留めておくことは出来なかった。
「元々そこまで健康的な身体じゃないから、長時間の面会は未だ難しいけれど、2人だけの時間を過ごすといいわ」
それだけ言うと看護師は次の仕事へと向かった。彼女が去った後、ドアノブを掴んだ朱羅だったが、自然と身体が制止した。心音は普段通りのように鳴っているし、呼吸が早まっている訳でも乱れている訳でもない。だが、緊張しているのだろうか。直ぐにドアノブを動かすことが出来ないでいた。だが、そんな自分に喝を入れ、一呼吸すると、朱羅はドアノブを回し、病室へと脚を踏み入れた。
「朱羅君…!」
すぐに聞き慣れた優しい彼女の声が耳に入ってきた。
「瑪瑙…」
朱羅はその声の主に視線を向ける。
瑪瑙は薄緑色の病衣を身に付け、月の色を溶かし、絹で織ったようなしなやかで美しい色の髪はひとつに結われ、優しく澄んだ翡翠色の双眼が朱羅を見つめていた。
まだ病み上がりと言うこともあり、血色は普段より更に白く透き通ってはいるが、それでも彼女が朱羅を見つめる表情は明るく、だからこそ朱羅の心が僅かに軋んだようだった。
「朱羅君、怪我はどう…?大丈夫…?」
優しく微笑んでいた彼女の表情は、目の前の想い人を案ずる表情に変わる。
「俺は大丈夫だ。怪我もしていない」
落ち着きのある普段通りの声色でそう答えると、朱羅は瑪瑙が休むベッドの脇にあった椅子に腰を掛ける。
「看護師さんが朱羅君や斎君、他の皆は無事だって教えてくれたけど……」
自分の面倒を見てくれている先程朱羅も出会った優しい看護師を疑うような言葉を述べたくないのか、瑪瑙はそこで口を噤んでしまった。朱羅はそんな彼女の優しさに心が暖かくなる感覚を覚えたが、今の自分にとって彼女のその優しさが自分の決意の言葉を述べるのに少なからず影響を与えているということを、ひしひしと感じていた。
「斎は全身傷だらけだったが大丈夫だ。治癒能力も高いし命に別状はない。他の皆も此処の寄宿舎できちんとした食事を取っているし問題ない」
そう答えた朱羅は、斎だけでなく他の仲間達の様子も1日に2回ほど見に行っている。
寄宿舎から出ることは禁じられてはいるが、今まで狭苦しい場所でずっと生活してきた彼等にとってはその寄宿舎でさえも広々とした空間であり、それだけで何の問題もない居住環境となっていた。1日に3度きちんとした食事がとれる上にシャワーも完備され、ベッドも2段若しくは3段ベッドではあるが1人1つずつ用意されており、彼らにとっては今まで経験のない快適な生活を素直に喜んでいる様子だった。
いつかはそんな快適な場所を離れることになると、朱羅は現実をきちんと教えており、彼等は少々複雑な表情を浮かべてはいたが、それはつまり斎や瑪瑙の治療が終わったということであり、再び皆との生活が始まるということを意味しているということを理解しているのか、多少の不満はありつつも、特に駄々を捏ねるような者はいなかった。
彼等は未だ知らない。だからこそ純粋な笑みを朱羅に向けている。
自分のことを慕っていてくれる者が増えたことは素直に嬉しい。だが、やはり彼等にとって父親であり兄であった斎がいなくなるという現実は、きっと自分が考えている以上に辛いものなのだろう。彼等の笑みを見る度、朱羅の心の枷は少しずつ重みを増しているようだった。
自分の顔を見ると駆け寄ってきてくれるまで懐いてくれている彼等に、自分は辛く苦しい現実を与えようとしている。だが、例えそうだとしても自分が決めたこの意志は何があっても曲げられないと思っている自分もいる。酷い人間だと思いながらももう1人の自分はエゴを貫くことを咎めず、良しとしている。
これが、心のある者との違いなのだろうか……
朱羅は自問自答していた。
「…朱羅君……?」
いつの間にか意識が別の場所に飛んでいたようだった。朱羅は瑪瑙に呼ばれる声に意識を戻した。彼女は顔を僅かに俯けている自分の顔を控えめに覗き込むように腰を屈め、心配そうにこちらを見つめていた。
「…どこか痛むの…?大丈夫…?」
辛くても辛いと言えない朱羅のことを理解している瑪瑙にとって彼のことを信頼していながらも、彼自身に与えられる痛みに対して彼が内に留めてしまうことや隠してしまうこと、何よりも与えられる痛みや苦しみに耐えられてしまうことを、瑪瑙は今でも案じている。
「否、痛みはない」
「……溜め込んでない……?無理、してない……?」
瑪瑙の両手がそっと、自分の手に添えられる。まだ完治していない為に普段の温もりが戻ってはいなかったが、それでも彼女の人柄なのだろう、温かく、安心する温もりは健在だった。
「無理はしていない」
「…要君やツカサ君、斎君のことは自分の責任だって………そう、考えてるの……?」
自分が今1番に案じていることではなかったが、瑪瑙の言う通り、そのことに対しても朱羅は自責の念を抱いている。だから今の彼女の言葉を肯定しても彼女に対して嘘を吐いているということにはならないだろう。朱羅は一瞬、そんなことを考えていた。
そんなことを無意識に考えてしまえる自分に、朱羅は嫌悪感を覚えた。だが、今の自分は瑪瑙が知っている自分ではないのだと、心の何処かで割り切ってしまっている自分がいることに、朱羅は気が付いた。
瑪瑙や斎、他の仲間達よ出遭い、自分は確かに変わった。昔の自分であればこんな風に仲間達のことに対して考えることはなかった。自責の念を常に抱いていながらも、常に抱き続けているからこそ慢性化し、心で実際に感じることは減り、自分は何も考えない人形となっていた。そんな自分をひととして目覚めさせてくれたのが瑪瑙や斎達だった。
自分は確かに変わった。昔に比べて人間らしくなった。
だが、根本的なところは変わっていなかったのではないか…。
ふと、そんな思考が脳裏を過ぎる。
胸を痛めながらも最終的に自分を正当化している今の自分が何よりの証拠だった。仲間達を生かすためにERASEの要求を飲む。だがそれは自分の為なのだという自覚が在る。彼女が−瑪瑙が殺されてしまったとしたら、きっと自分は2度と人間には戻れない…そんな感覚が。だから結局は彼女達を生かすのは彼女達がいなくなってしまうという現実を受け入れたくない、自分は完全に壊れたくないという自衛本能が働いているに過ぎないのではないか。
そんな思いが朱羅の中に根付き始めている。
昔、狂った姉を殺したことも自分を生かす為。
今の自分もまた、自分を生かす為に仲間達の犠牲を利用しているのではないか。
朱羅の中で、自身に対する疑心が生まれていた。
だが、そんな疑心を抱いていると自覚していながらも尚、エゴを貫くことを良しとしている自分に、生きる意味があるのだろうか。
いっそ、仲間達と共に散った方が余程真っ当なのではないのだろうか……
「……朱羅、……君………」
「………え………」
気が付くと、瑪瑙が眼を丸くしながらこちらを見ていた。彼女は何かに対して驚いているような表情を浮かべているが、何故そんな表情で自分を見ているのか、朱羅は理解するまで時間が掛かった。
「………」
ぽたりと自分の頬から何かが滴り落ち、重ねられた瑪瑙の手の上にそれが零れ落ちた。それが何なのか、朱羅には始め分からなかった。
「………俺………」
― 泣いているのか………?
朱羅はやっと、零れ落ちたそれが涙の雫なのだと認識した。
だが、何故自分が泣いているのかも分からない為、"自分が泣いている"という現実に違和感を覚え、認識はしてはいるがそれを自分の物とすることが出来ずにいた。
「―っ………」
突然、身体に軽い衝撃と、ふわりと優しくほのかに甘い香りが漂った。
「………瑪瑙………」
朱羅は、自分が瑪瑙に抱きしめられていることに気が付いた。彼女は自分の肩に顔を埋め、力一杯抱きしめていた。
「………何故、自分が泣いているのか分からない相手にも、瑪瑙は心を寄せてくれるんだな………」
「っ………」
朱羅は目を細め、僅かに笑みを見せながら、自分の為に泣いてくれている瑪瑙の背中に片手を添えた。
「……朱羅君はきっと……私や斎君の意識がない間、ずっと1人で何もかも抱え込んでいたんだよね………」
朱羅の背中両腕を回し、彼女は涙を堪えながらそう言った。
「ごめんなさいっ………」
「……瑪瑙も斎も………ひとの為に心を痛めてばかりだな…」
そう言うと朱羅はそっと瑪瑙を自分の身体から離し、彼女の頬に手を添え、涙を拭った。
「…でも、俺の為に泣いてくれなくていいんだ」
― 自分のことばかり考えている自分に 心優しい君が泣いてくれることはない
それが朱羅の本音だった。
「………朱羅………君………」
「瑪瑙も斎も、自分のことを1番に考えていいんだ。俺のことは考えなくていい」
― 自分には そんな資格はないから
それだけ言うと、朱羅は腰を上げ、病室を後にしようと動くが………

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