+ ACT.42  いつの間にか正当化していた偽りの心 ( 2/2 ) +
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「…待って」
突然腕を引き寄せられ、立ち上がろうとした身体が傾き、ベッドの上に片手を付け、腰を下ろす体勢に変わる。
「……瑪瑙……」
朱羅は自分の腕を掴んだまま口を噤んでいる彼女の名を呼んだ。
「………"俺のことは考えなくていい"なんて………そんな悲しいこと………朱羅君は言うんだね………」
瑪瑙は自分胸元に手を添え、ぎゅっと服を握った。
「……瑪瑙……」
普段はひとのことばかりを案じ、自分の悩みや苦しみを口にしない彼女が見せる不安な表情に、朱羅はハッとした。
「…私……は…、朱羅君と特別な関係になれて嬉しいって……そう思ってたけど………私が勝手に思い込んでただけ………なの………?」
普段通りの自分なら朱羅のことを信じ切れており、彼が自分を大切に想っていてくれることも十分に分かっていた。だから自然とそれが自分の朱羅に対する想いの証明や強さになっていたし、その思いが揺るぐこともなかった。
…だが、今の自分はそんな自分ではなかった。
朱羅が見せた表情や仕草、言葉が何故か彼の本意に思えてしまうのだ。
"俺のことは考えなくていい"…その言葉も彼の本心のように感じてしまった。自分は彼のことを愛しいと想っているし、大切に感じている。だから彼が辛い思いをするのは心が痛むし、出来ることならその痛みも苦しみも分かち合いたかった。
だが彼は―朱羅は、それを拒んだ。
昔の自分なら、普段の自分ならその言葉は朱羅が1人で抱え込もうと、自分達に心配をかけない為に言っているだけであり、彼の本意ではないと感じ取り、その枷から彼を少しでも解放出来る様務めたいと考える筈なのに、今の自分にはそれが出来なかった。
何故か彼の今の言葉が、仲間に心配を掛けまいとする言葉ではなく、彼の本意なのだと感じてしまったのだ。
― 一体自分はどうしてしまったのだろう………
瑪瑙の心の中は様々なものが一気に生まれ、掻き乱されていた。
「……可笑しなことを言ってごめんなさい………。朱羅君は斎君や皆の様子を見に行ってあげて………」
そう言うと瑪瑙は朱羅に背を向け、ベッドに横になってしまった。
「………」
瑪瑙の言葉が朱羅の中に響き、刻み込まれたような気がした。
本当は彼女と共にいたいという自分の本当に気持ちも、いつの間にか蓋をしていた…。
彼女を手放さなければならないという苦しみから逃れるため、いつしかその気持ちに蓋をし、鍵を掛け、こころの奥底に追い遣ってしまっていた。それどころかそんな想いさえも偽りとし、彼女を手放す苦しみから自分を護る為、やっと掴み始めたひとの心さえも凍らせ始めていた自分に、朱羅は気が付いた。
苦しいのは、辛いのは、自分だけではないというのに。
自分は苦しみを与える立場だというのに、何を被害者ぶっていたのか。
昔は全ての痛みを必要以上に自分のものとし、それに耐えることが自分に出来る罪滅ぼしなのだと思っていた。自分1人で何もかも受け入れ、耐えることが。だが、その呪縛から解き放ってくれたのが彼女なのだというのに。
朱羅の拳が力強く握り締められた。
「………瑪瑙………」
朱羅は静かな声で彼女の名を呼ぶが、彼女からの返答はなかった。
「………済まない……」
謝罪の言葉にも、彼女の返答はない。
「……俺のことは考えなくていいだなんて……そんなことを言ってしまって済まない…」
朱羅は彼女からの返答がないことを気にせず、言葉を続けた。
「…怪我をしても瑪瑙は俺のことを案じてくれていたというのに俺は…自分のことばかり考えていた…」
自分の保身。いつの間にかそのことだけを考えていたのだと朱羅には分かった。
確かに結論を考えればそうなってしまうのかもしれない。でも、その想いの始まりは自分の保身ではないのだと、朱羅は理解しなくてはならない、受け入れなくてはならないのだと考えたのだ。
その想いの始まりは、自分がERASEに留まることを決意したのは、彼女に生きて欲しいから。彼女のことを心から愛しているから。
純粋なその想いを自覚し、理解し、自分の心で受け止められたからなのだと。
「………瑪瑙。俺は君を愛してる」
「っ………」
その言葉に、今まで無反応を貫いていた瑪瑙が始めて反応を示し、振り返った。
「心から君を…瑪瑙を、愛してる」
「………朱羅………君………」
上体をゆっくりと起こした瑪瑙の翡翠色の瞳が見開き、瞬く。
「だから俺は、俺が君のことを想い、君のことを案じるように、君もまた俺のことを案じることをきちんと受け入れたい」
彼女が自分の為に案じることに対して申し訳なさや自責の念を抱くのではなく、素直にそれを受け入れ、彼女と共に互いの想いを受け止めること。それが相手を敬い、愛することなのだということを、朱羅は彼女に教えられた。
例えこれから先、彼女と共にいることが出来なくなろうとも、今はまだ彼女が目の前にいて、自分に言葉を掛け、案じ、共にいてくれる。そのことの意味をきちんと受け止め、考え、行動することが今の自分に出来る最善のことなのだと朱羅は思い直した。
「…瑪瑙がいとおしいんだ…」
「…っ………」
朱羅はベッドに腰を下ろし、瑪瑙の頬に手を添えると優しく口付けた。
2、3度優しく口付けると、朱羅は瑪瑙を解放した。
「………」
瑪瑙は頬を朱色に染め、恥ずかしげに言葉を噤んではいたが、朱羅の本当の想いに素直に喜びを感じているのだろう。表情は暖かく、満たされているようだった。
「未だ目覚めて間もないのに済まない…」
朱羅は瑪瑙に謝罪する。
「…謝らないで。私、凄く嬉しいから…。それに…私の方こそごめんなさい……」
胸元に添えられた彼女の手に力が込められる。
「私……朱羅君のこと……信じ切れなくて………」
彼のことなら―朱羅のことなら信じられると思っていた瑪瑙にとって、例え一瞬でも彼のことを疑ってしまった自分が許せないのだろう。瑪瑙は心を痛めていた。
「俺自身も無意識に自分の本当の想いを偽っていて、それに気が付けないでいたのだから、瑪瑙が謝る必要はない。それに…瑪瑙には申し訳ないが…そんな瑪瑙の言葉があったからこそ、俺は追い遣っていた自分の本当の気持ちに気が付くことが出来た」
「…朱羅君……」
僅かに申し訳なさを載せながらも微笑む朱羅の表情に、瑪瑙も自然と、困ったような、だが暖かみのある笑みを零していた。
その時、コンコンとドアをノックする音が病室に響いた。
「葉月さん、御堂君、失礼するわね」
そう言葉を掛けながら入室してきたのは、カルテを持った先程の看護師の女性だった。
「―あ、済みません。もう面会終了の時間です」
朱羅は椅子から立ち上がり、看護師に場所を提供する。
「私個人としてはもっと2人を一緒にさせてあげたいんだけどね。ごめんなさい」
困ったように笑いながら看護師はそう答えた。
「でも夕方か夕食後にもう1度面会の時間はあるから、その時また彼女に会いに来れるわよ」
にっこりと微笑みながら彼女は朱羅に言い、そして瑪瑙の方にも笑みを見せた。
「それじゃあ瑪瑙、また後で来る」
「うん。待ってるね」
別れの挨拶を交わすと、朱羅は病室を後にした。
「…ふふ」
「…?どうかしたんですか?」
瑪瑙は静かに笑った看護師に問い掛けた。
「御堂君と貴女、本当にお互いを大切に想ってるんだなぁと思って」
「…わかるんですか…?」
少々恥ずかしげに頬を染める瑪瑙は、彼女に再度問い掛けた。
「私が来た後と彼が来た後じゃあ、貴女の表情が全然違うもの」
にっこりと微笑みながら点滴の交換をし始めた彼女はそう答えた。瑪瑙はその言葉を聞くと両手で頬に手を添え、益々顔を朱色に染め上げていた。
「すっ…済みません…。その……そんなつもりはなくて……」
「私に気を遣わなくていいのよ。大好きな彼に会えて嬉しい気持ちは私にもわかるもの。自然なことよ。まぁ……羨ましいなって思うけど」
まだ気恥ずかしさは残っているようだったが、瑪瑙は彼女ににこりと微笑みかけた。
「純血種ではないとは言え、キリスの血が流れているって言うからもっと攻撃的で怖い子かと思ってたけど、彼、全然予想と違って吃驚したわ」「朱羅君は、とても優しいひとです。優しくて、そしてとても強いひと」
朱羅が立ち去ったドアの方を見ながら瑪瑙は言った。
「そうみたいね。貴女と彼、とてもお似合いよ」
「ありがとうございます」
その言葉が、素直に嬉しかった。
自分よりも強い彼の隣を歩き続けても良いのか、今でも時々不安に思うことはあるが、今はそれ以上に彼と共にいられることが何よりも嬉しいし、自分の力となっている。
彼のことをもっと支えられるような強い人間になりたい。
それが今の瑪瑙の目標。彼と共にいられることは何よりも嬉しいけれど、それだけに満足していてはいけないのだと、そう感じていたからだ。そして彼もまた、自分と同じように考えていることを知っている瑪瑙は、それにもまた喜びを感じていた。
「…本当、これからもずっと一緒にいられたら良かったのに……」
突然、ポツリと発せられた言葉がよく聞こえなかった。
「済みません。今、何か言いましたか…?」
瑪瑙は看護師に問い掛ける。
「―あ、ううん何でもないわ。ただの独り言」
彼女は無意識に呟いていたようで、瑪瑙が問い掛けてきたことで初めて自分の中だけの思考を外に漏らしていた自分に気が付き、慌ててそう答えた。
「貴女は先ず、自分の体調を1番に考えないとね」
「はい」
点滴の交換を終えた看護師はカルテに記録を残しながらそう言い、瑪瑙も返事をする。
「―あ…あの、斎君の容態は……」
「あら。私、さっき"自分の体調を1番に考えないと"って言ったばかりなんだけどなぁ?」
看護師は意地が悪そうな笑みを浮かべながら瑪瑙を見る。
「済みません。でも朱羅君に詳しいこと、聞きそびれてしまって…」
申し訳なさそうに視線を外しながらも瑪瑙は彼女にそう答えた。
「彼は貴女より余程頑丈なのよ?だから大丈夫。さっき貴女に容態を伝えた後も問題はないわ」
軽く嘆息しながらも彼女はそう教えてくれた。
目が覚めてから真っ先に瑪瑙が傍にいた彼女に尋ねたのは、朱羅や斎、仲間達の安否だった。特に全身に傷を負っていた斎のことや、キリスの血が目覚めてしまった朱羅のこと、そして命を落としてしまった要やツカサのことを案じていた。
「要君もツカサ君も大丈夫。きちんとこちらで亡骸は預かっているから」
「……ありがとうございます……」
唯一責めることの出来る今回の事件の当事者はもういないのだと、瑪瑙は教えられていた。確かに当事者である彼―瑠唯のやったことは許されるものではない。大切な仲間の命を弄び、奪った。そんな彼のことを、流石の瑪瑙も全く怒りを覚えていないと言えば嘘になる。だが、同じく朱羅を愛する者として考えると、どうしても複雑な心境になってしまう。だた単純に彼が"悪"であると、そう割り切ることが出来ないのだ。
そんなことは斎や朱羅、他の仲間達には言えないが、瑪瑙の中では彼を憎み、恨む対象というだけの存在で片付けられないことは確かなことだった。
「よし!怪我の具合も脈拍や体温も問題ないわね」
瑪瑙が様々なことに意識を向けている間看護師はてきぱきと仕事をこなしていたようで、瑪瑙の今の容態をカルテに纏め終えるとそう言った。
「もし何かあったらコールで呼んでくれていいからね。遠慮はしちゃあ駄目よ。それじゃあね」
人に気を遣う瑪瑙の人柄を知った看護師はそう言うとドアノブに手を掛け病室を後にした。
それから少しの間、瑪瑙は口を噤んだままでいたが、起こしていた上体を横にし、休む体勢をとった。
― そうだよね。今は斎君達の心配が出来るような状態じゃないもの。先ずは怪我を治すことに専念しないと
斎よりも自分の方が体は弱く、そんな自分が斎や朱羅、他の仲間達を案じるだなんて図々しい。自分の治療を疎かにするような人間が人の身を案じるだなんてとんでもない。
そう考えた瑪瑙は静かに目を閉じ、再び休み始めた。



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