+ ACT.43  制御の効かない感情 ( 2/2 ) +
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次第に息苦しさを感じ始めた朱羅。気が付けば無意識に呼吸を浅くしていたようだった。それほどまでに今目の前にいる彼の圧は強く、逆らうことが出来ない。
「……俺には朱羅しかいない………。だから、朱羅にも俺しかいない………そうだろ……?」
朱羅の頬に手を添え、光のない瞳で朱羅を見つめ続ける斎は静かな声でそう問う。
「…だから、朱羅も約束してくれよ………。朱羅は………朱羅だけは、俺の傍にずっといるって………」
朱羅の見慣れたコロコロと変わる賑やかな斎の表情とは全く異なり、僅かにも表情が変わらず、淡々と語っていた斎だったが、その言葉を発した彼は、僅かに眉を顰めた。
「…………俺には……もう……朱羅……、お前しかいないんだっ………」
添えていた手を離し、朱羅の両肩に置いた大きな手に力を入れ、今まで表情のなかった斎の眉は強く顰められ、何処にもぶつけられない憤りと哀しみ、悔しさ等、混沌とした感情の渦が再び彼の中で蠢き始めた様子だった。
そんな彼の姿に、朱羅は不思議と安堵した。
先程まで相対していた彼は恐らく、彼自身の中で眠っている負の面を多く持つ姿で、姿形は斎と同じであっても朱羅と心を通わせることも理解しようとすることさえも拒むような雰囲気を全身に纏っていた。ただ己の要求を相手に強い、受け入れさせるだけの彼の姿に、朱羅は違和感とも取れるような、それでいて嫌悪の対象にさえなってしまうような彼への意識が根付き掛けていた。
「……斎……」
朱羅は僅かに目を細め、自分に縋る斎の手にそっと触れる。
小刻みに震え、彼自身自分の感情を制御出来ていないことが苦しい程に伝わってくる。感情に欠けた自分にとって、そんな斎を羨ましいとさえ感じてしまう自分に、朱羅は少しばかり申し訳なさを抱いていた。だが、今は自分のことは後回しにする時であり、感情の欠けた自分でさえ今の彼を見ていて彼の苦しさが痛いほど分かってしまうことに対し、朱羅は彼の心の苦しみを少しでも分かち合いたい、彼の心の嘆きを受け止めたいという想いが1番強かった。
「…ERASE…は、暗殺組織なんだろ……?優秀な朱羅が……現場に狩り出されない訳がないっ………」
斎は朱羅の肩に額を乗せ、両腕で華奢な彼の身体を感情の赴くままに抱きしめていた。縋っていた。
「……そしたら………朱羅はっ………」
次の言葉を自身で紡ぐことが恐ろしくなったのか、斎は言葉の途中で唇を噛み締めた。
「…組織に入り、所属は何処になるのかは分からないが………斎の思っている通り、恐らく俺は暗殺者となり任務に赴くことになるだろう」
朱羅は斎の背に腕を回し、そっと抱きしめながら静かに、そして落ち着きのある声で続けた。
「そうなれば、俺はいつ命を落とすか分からない」
「っ………」
自分が恐れながらも必死に紡ごうとしていた言葉を冷静な声で語る朱羅に、無意識に斎の全身に力が入り、硬直する。
「だが、俺もそう簡単に死ねない。死ぬ訳にいかない」
その言葉に込められた静かさの中に感じる朱羅の強い想いに、斎は気が付いた。そして肩に埋めていた顔を上げ、朱羅の顔を見ることの出来る程度に距離を空け、斎は朱羅の菫の双眼を見つめた。
「絶対に死なないなんて出来ない約束はしない。―だが、生きる努力はする。俺自身の為に。そして、斎の為に」
斎の頬に優しく手を添え、朱羅は目を細めながらそう答えた。
「っ……朱羅、………」
慈しみや優しさだけではない、意思の強い彼自身の本心を感じ取り、自分のの苦しみや哀しみが一瞬和らぐのを感じた斎は、視界が滲むのを感じていた。
"出来ない約束はしない"
それは朱羅なりの優しさの表し方なのだと感じだ。"絶対に死なない"などと無責任な約束をし、自分が命を落としてしまえば1番悲しむのは遺された斎だ。希望や望みは生きる糧になる。だが、それと同時にどうしようもない絶望を生むきっかけにもなってしまう。だからこそ朱羅は無責任な約束はせず、だが出来る限りの努力をするという本心を、斎に真っ直ぐに伝えたのだ。
そんな彼の、彼なりの優しさに、斎は悲しくも救われる想いだった。
「………ごめんっ………ほんとにごめんっ………」
自分に向けられた朱羅の優しさを感じたと同時に、辛いのは朱羅も同じ筈なのに自分のことしか考えていない自分に気が付いた斎は顔を俯け、頬に添えられた朱羅の手を握り締めながら、斎はボロボロと涙を零し始めた。
「…何故謝る……」
大きな身体を小さくし、身体を震わせて涙する斎を、朱羅はそっと抱きしめて優しく声を掛ける。
「―…って、俺っ………自分のことしかっ……考えてなく、って………」
本当であれば自分を抱きしめてくれている朱羅を自分も抱きしめ返したかったが、それよりも彼に対する申し訳なさの方が今の斎には強く、それが出来なかった。
「…俺だって自分のことばかりだ…」
朱羅はふと、瑪瑙が目覚めて初めて彼女の元を訪れていた時のことを思い返していた。
誰もが自分自身の為に道を選び、時に他の人間達にも強要し、自身の為に動くよう強いる。それでもこの世界がそれ程悪くないと感じるのは、自分のことを考えながら、それと同時に相手のことも考える人達がいるからなのだろう。
視点を変えればどんなことでも"自分の為"にもなれば"相手の為"にもなる。それでもただ一心に己の保身の為に動く者もいれば他人を思いやることの出来る者もいる。今まで朱羅が出逢ってきたのは前者ばかりで、いつだって自分の欲望のままに生きていた者達ばかりだった。だが朱羅はそんな世界を嘆いたことも憤ったこともなかった。己の為だけに生きる者達に組み敷かれることで己の犯した罪を償っているつもりでいたからだ。自分に苦痛を与えることで、無意識に罪の意識から逃れようとしていたのだろう。ある意味ではそれが1番楽だったし、何も考えずに済んだ。だからこの世界が本当はどんな世界で、どんな者達が生きる場所であっても関係なかった。
そんな自分を変え、自分の望みを持つことを教えてくれた瑪瑙や斎、そしてホームの仲間達。
結局は自分の為にその大切な仲間達を手放す道を選んでしまったが、今の朱羅は自身の犯した罪を償う為、逃げる為だけに生きる道を選んではいない。別の道もあるのだと教えてくれた者達がいたからだ。
突き詰めれば昔の自分も今の自分も、自分の為に生きていることに変わりはない。だが、昔の自分は自分の罪から逃げることばかりで身体は生きていても心は死んだままで、流されるがままに生きてきた。だが今は違う。今は自分の望みの為に生きる道を選んでいる。自分の望みを持つことを知り、その為に生きる道もあるのだと知ったのだ。
「……斎、落ち着いてからで構わない。落ち着いたらホームの皆や瑪瑙に会いに行こう」
朱羅は斎の背中を優しく摩りながら静かに言う。
「………うん………」
斎は精神的に不安定な状態が続いていた為、瑪瑙だけでなくホームの他のメンバーにも入院してから1度も顔を合わせていなかった。精神的に不安定だったことが1番の理由だったが、例え回復した後でも仲間達…特に瑪瑙の顔を見てしまえば自分は再び不安定な状態に戻ってしまうことを、斎は不安に感じていた。
「……いつまでも……このままじゃ駄目だもんな………」
朱羅に語り掛けるようでいて、斎は自身にそう言い聞かせるように呟いた。
「………もう、皆と一緒にいられる時間は、限られてるんだもんな………」
斎の拳が力を込めて握り締められる。
「皆も瑪瑙も、斎のことを心配している」
抱きしめていた両腕を静かに離し、朱羅は斎と距離を取りながらそう伝えた。
朱羅は毎日仲間達や瑪瑙に会いに行っていたが、その度に斎の容態を案じる言葉を掛けられていた。瑪瑙は朱羅のことも気に掛け、それ程強く尋ねてはこなかったが、心の優しい彼女が誰よりも斎の身を案じていることは彼女が尋ねてこなくとも分かる。
「……すっかり皆に心配掛けちまったみたいで………悪いことしたよな……」
仲間達が自分を気に掛けてくれていながらも、自分はそんな仲間達を失うこれからの人生に恐怖し、嘆き、塞ぎ込むことしか出来ていなかった自分を恥じた。だが、朱羅の前で吐き出したお陰で少し斎の中でも整理がついたのか、斎は自身を恥じながらも申し訳なさそうに笑みを僅かに覗かせていた。そんな彼を見て、朱羅は少し安堵した。
「……それに、要とツカサも早く弔ってやらないと…」
湊が退室する前、今日から2日間の内に弔うようにと話していたことを思い出した斎はふっと、僅かに表情を曇らせながらそう言った。
「…そうだな…」
2人の遺体はERASEの死体安置所に保管されている。安置所の担当者は一般人の、それもスラム街の子供の遺体など早く火葬するべきだと主張したが、湊は彼等に時間を与えて欲しいと願い出ていたことを、2人はつい最近になって安置所の担当者から聞いた。ERASEの管理を行う統括部所属の湊の依頼とは言え渋々といったところだったが、担当者は彼女の意思を受け入れてくれた為、彼等の遺体は今でも安置所に保管されている。しかし、ただでさえ一般人を1週間以上受け入れているだけでも良く思っていない者も少なくはなく、例え実力を十分に認められている湊とは言え、上層部が彼女個人の我侭をこれ以上引き伸ばすことを良しとはしていない。故に2人の遺体の火葬は今日から2日間の内に行うよう朱羅と斎に伝えたのだった。
「…今日の夜の早い時間に……皆に会いに行こうかな……」
斎は僅かに身体を硬直させ、拳を握りながらそう呟いた。
「…朱羅も、一緒に行ってくれるよな……?」
申し訳なさそうに、しかし朱羅に縋るような懇願するような色を載せた瞳で、斎は朱羅を見つめてきた。
「ああ。一緒に行く」
「ありがとう…」
彼の答えに斎は安堵したように肩を下ろし、申し訳なさそうな笑みを浮かべながら礼を述べた。
「……………ほんと………」
朱羅に礼を伝えた後、少しの間黙っていた斎だったが、大きく息を吸い、吐き出すと言葉を続けた。
「…俺、朱羅にみっともないとこ、見せ過ぎだな……」
申し訳なさと情けなさ、そして羞恥を覗かせながら斎は困ったように、自嘲気味に笑っていた。
「俺だって同じだから問題ないだろう」
「………否、朱羅の場合は俺とは違うし………」
斎は朱羅を見つめていたが、彼のその言葉を聞くとばつが悪そうに顔をそらしながら口篭るような声で言った。
「………つか、そう言えば"あの人"って………」
自分が述べた言葉で思い出したのか、斎は"あの人"―瑠唯のことを思い出した。
「殺された」
朱羅は声質も表情も変えずに端的にそう答えた。
「………殺された………?」
予想もしていなかった展開と一切声色の変わらない朱羅に対して不可解に感じたのか、斎は怪訝な表情を朱羅に向けた。
「瑠唯さんは瑠架さんに殺された」
「…瑠架って………確かあの人の妹……だよな?何故だ?」
「俺にも詳しいことは分からないし、一切彼女に聞かなかった。…恐らく、彼女は見限ったのだと思う。自分の兄―瑠唯さんのことを…」
彼女は瑠唯以上に何を考えているのか計り知れない。そのことは朱羅もよく知っていた。そんな彼女が自分の兄を、唯一生き残っている自分の家族を手に掛けた理由は憶測にしか過ぎない。優秀だった兄がたった1人の少年によって崩壊してく様を嘆いたのか、それとも恥と感じたのか、考えられることはいくらでもあったが、彼女が何を感じ、何を考えていたのか、そういうことは以前から上手く読み取ることは出来ずにいた。
「…よりによって、たった1人の家族に殺されるなんてな………」
斎は嘆息した後に空を見上げ、独り言のように呟いた。
「―でも、あの人に同情は一切しないけどな」
目を細め、眉を顰めながら斎は僅かな怒りを覗かせながらそう言った。斎の彼に対する怒りは今でも健在だ。彼が全ての元凶で、彼が可笑しな真似をしなければ要やツカサは死なずに済んだし、ホームの仲間達も傷付かず、瑪瑙も怪我をすることも朱羅が苦しむこともなかったのだから。
「自業自得だ」
彼に対する斎の嫌悪感や怒りが、吐き棄てる様に発したその言葉と声色から十分過ぎる程伝わってきた。
「………」
朱羅にも彼に対する嫌悪感や怒りは少なからずある。瑪瑙に手を出したことを許せないと思っている。だが、それでも斎のように負の感情のみを彼に向けることは、彼がいなくなった今でも朱羅には出来なかった。
「まぁ、今はそれよりもこれからのことだ。……朱羅には悪いけど…」
斎は1度自分の感情をぶつけた後、黙っている朱羅に気付き、自分の配慮のない言葉に気が付きつつも自分の変わらぬ感情は曲げず、謝罪の気持ちを覗かせる。
「―否、斎の言う通りだ」
いつまでも引き摺ってはいられない。朱羅もまたそう感じていた。自分の犯した罪は忘れてはならない。けれどいつまでも楔に繋がれたまま生き続ける意味の無さを、朱羅はよく知っていたからだ。
「俺達が今1番に考えることは今後の進むべき道だから」



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